月: 2026年10月

  • 人数で課金する会社は、人を減らすAIをどう売るのか——Workdayの年次報告書が書き換えた成長の前提

    人数で課金する会社は、人を減らすAIをどう売るのか——Workdayの年次報告書が書き換えた成長の前提

    人数で課金する会社は、人を減らすAIをどう売るのか——Workdayの年次報告書が書き換えた成長の前提

    はじめに:人件費を減らすAIと、人数で決まる売上

    企業向けのAIは、多くの場合「人の仕事を肩代わりする」ことを価値として売られる。採用の書類選考、経費の確認、問い合わせへの一次回答。AIがこなす仕事が増えるほど、顧客企業はその仕事に充てていた人件費を減らせる、という説明である。

    では、顧客企業の従業員数に応じて料金を受け取っている会社が、このAIを売るとどうなるか。

    人事・財務の業務ソフトウェアを提供するWorkdayは、まさにその位置にいる。同社の売上は、顧客企業で働く人の数に連動する。そして同社の経営陣は、AIの価値を顧客の人件費と比べて説明している。製品が約束する価値と、売上が決まる仕組みが、逆を向いている。

    本稿は、この向きの違いが同社を不利にするかどうかを判定するものではない。代わりに、同社が米国証券取引委員会(SEC)に提出してきた年次報告書(10-K)と四半期報告書(10-Q)の文言の変化を追う。そこから見えてくるのは、人数で稼ぐ会社にとってのAIの論点は、競合の出現よりも先に、顧客が人を増やさなくなることにある、という構図である。しかも同社にとってその問題は、AIより先にやってきていた。

    1. 売上は「顧客の従業員数」で決まる

    Workdayは、人事(採用、給与、評価、人員配置)と財務(会計、支出管理)の業務を担うクラウドソフトウェアの会社で、顧客は1万1,500社を超える。売上の大半はサブスクリプション(継続課金)である。

    その料金の決まり方を、同社は10-Kで次のように説明している。

    our subscription-based model is largely based on the size of our customers’ employee headcount(当社のサブスクリプション・モデルは、概ね顧客の従業員数の規模にもとづいている)

    ここで区別しておきたいのは、この「人数」がソフトウェアを使う人の数ではないことだ。AIと企業向けソフトウェアの議論では、「AIが画面操作を肩代わりすれば、利用者の席が減る」という話になりがちである。しかし人事のソフトウェアが数えるのは、給与を払われ、評価され、配置される人、つまり顧客企業に雇われている人である。画面を誰が操作するかとは関係がない。

    したがって、AIがWorkdayの売上に効く経路は「利用」ではなく、顧客企業の雇用の判断を通る。AIが同社の画面操作を代行しても、課金の母数は減らない。減るのは、顧客企業が人を減らしたとき、あるいは増やさなくなったときである。

    2. 人数の問題は、AIより先にやってきた

    この経路は、すでに一度、実際に効いている。原因はAIではなかった。

    2024年5月、Workdayは通期のサブスクリプション売上の見通しを引き下げた。同月の10-Qは、成長率の鈍化の要因の一つに「既存顧客の更新時における、従業員数の契約水準の低下」を挙げている。決算説明会で最高財務責任者(CFO)は、引き下げ幅のおよそ半分をこの要因によるものと説明した(説明会の書き起こしによる)。顧客の従業員数の伸びが、想定より鈍かったのである。

    その後、10-Kの書き方も変わった。2024年には「影響を与えうる」と書かれていた顧客の人員減のリスクが、2025年には「実際に影響を与えてきた」に変わった。さらに、顧客が更新時に「より少ない従業員数で」契約する可能性も明記された。

    ここまでの記述のどこにも、AIは原因として書かれていない。人数の減少は、景気や顧客の事業環境の結果として説明されている。AIの話が始まる前に、人数で課金するモデルの弱点はすでに表に出ていた。

    3. 成長の前提から「人数の増加」が消えた

    もっと重要なのは、リスクの書き方ではない。Workday自身が「何で成長する会社なのか」の説明を変えたことだ。

    2024年12月の10-Qまで、Workdayは既存顧客からの成長の源泉を次のように説明していた。

    expanding our footprint with existing customers through product add-ons, increased headcount level commitments, and price adjustments(追加製品、従業員数の契約水準の引き上げ、価格改定を通じて既存顧客での存在感を広げる)

    ところが2025年3月の10-Kから、同じ位置の文はこう変わった。

    expanding our relationships with existing customers through increased adoption of our suite of solutions(製品群の採用拡大を通じて既存顧客との関係を広げる)

    「顧客の人数が増えること」が、成長の源泉の一覧から外れた。

    人数で課金するモデルには、本来、組み込みの追い風がある。顧客企業が成長して人を雇えば、Workdayが何もしなくても売上が増える。顧客の成長と自社の成長が、従業員数という一本の線でつながっているからだ。同社はその追い風を、成長の前提として数えるのをやめた。代わりに置かれたのは、同じ顧客に、より多くの製品を使ってもらうことである。

    この書き換えの理由を、同社は説明していない。ただ、時期は示唆的である。2024年に人数の要因で見通しを引き下げた後であり、AIによる業務の代替が広く語られ始めた時期とも重なる。顧客の人数は、もはや当てにできる成長の源ではない。そうした前提で、成長の組み立てを移し始めたと読むことはできる。

    4. 人数の上に「仕事の量」を積む

    製品群の採用拡大の中心に置かれているのが、AIである。そしてAIについて、同社は人数とは別の料金の単位を用意した。

    2025年9月に導入した「Flex Credits」は、年単位で購入したクレジットを、AIが行った作業の回数に応じて消費する仕組みである。同社の製品ページは、なぜ従来の従業員数ベースではないのかという問いに、こう答えている。

    Flex Credits charge for the work AI completes on your behalf, not the number of employees in your organization.(Flex Creditsは、AIが代わりに完了した仕事に課金するのであって、組織の従業員数に課金するのではない)

    人数と切り離された単位を持てば、顧客が人を増やさなくても、AIが仕事をこなすほど売上が増える道ができる。人件費を減らすAIを売りながら、減った人件費の一部をソフトウェアの売上として受け取る仕組みである。実際、経営陣は決算説明会で、AIの事業機会をソフトウェアへの支出ではなく、顧客がその業務に払っている人件費と比べて見積もっていると述べた(2026年8月、説明会の書き起こしによる)。

    ただし、これは人数の課金を置き換えたものではない。中核の人事・財務の製品は、最新の10-Qでも従業員数ベースのままである。10-KはFlex Creditsを「一部のAIソリューション」向けの料金と限定し、その価格設定について「経験が限られている」ことをリスクとして新たに挙げた。人数の単位の上に、仕事の量の単位が積まれた、二階建ての形である。

    さらにWorkdayは、人だけでなくAIエージェントの権限まで管理する方向に進んでいる。2026年10月に発表した買収の発表文は、「すべての入社、異動、退職はWorkdayの出来事だ」と書いた。誰が働いているかの記録を持つ会社が、AIエージェントという新しい「働き手」の記録まで持とうとしているとも読める。ただし、それをどう収益化するかはまだ明らかではない。

    5. まだ分からないこと

    ここまでの事実から、人数で課金するモデルがAIによって崩れつつある、と結論するのは早い。

    まず、顧客の従業員数は、現時点では減っていない。2026年5月の決算説明会でCFOは、テクノロジー業界での減少は他の業界の増加で相殺されており、顧客の人数は「ほぼ横ばい」で、売上成長にとって大きな要因ではないと説明した。最高経営責任者(CEO)は、仮に人数が減るとしても「AIが置き換えているのは人であって、ソフトウェアではない」と述べている(いずれも説明会の書き起こしによる)。

    次に、提出書類は、顧客の人員減とAIを因果で結んでいない。人数が伸びない理由がAIなのか、景気なのか、業界ごとの事情なのかは、公表資料からは切り分けられない。仕事の量の課金が、人数の課金の伸び悩みをどこまで補えるのかも、開示からはまだ確かめられない。

    おわりに:顧客の成長と自社の成長を、何で結ぶのか

    タイトルの問いに戻る。人数で課金する会社は、人を減らすAIをどう売るのか。

    Workdayの開示が示しているのは、人数の課金を捨てるのでも、守り抜くのでもない道である。中核の料金は顧客の従業員数のまま残し、その上に、AIがこなした仕事の量で払う単位を積む。そして成長の前提からは、顧客の人数が増えることを外した。同社の売上はこれから、顧客企業の雇用の判断と、AIに任せる仕事の量という、二つの異なる意思決定に連動していくことになる。

    人数に連動して売る事業者は、人事に限らない。従業員数や拠点数、契約者数といった、顧客の側の「規模」を課金の母数にしているソフトウェアは多い。そうした事業者にとってAIの最大の論点は、AIを持つ競合が現れることよりも先に、顧客が規模を増やさなくなることかもしれない。

    AIは競争環境を変えるだけではない。顧客の成長と自社の売上の結びつきそのものを変える。AI時代の価格設計で問われるのは、「AIにいくら課金するか」だけではない。顧客の成長と自社の成長を、これから何によって結びつけるのかである。


    Disclaimer

    本稿は、同社の公表資料および公開報道にもとづく独立した分析であり、特定の組織の公式見解ではありません。

    本稿は特定の証券の売買を推奨するものではなく、投資助言・投資勧誘ではありません。 将来の株価、企業価値の割高・割安、投資判断に関する見解を示すものではありません。

    本稿の記述は、決算発表資料、SECへの提出書類、同社のプレスリリースおよび公開ドキュメント、決算説明会の公開記録、ならびに公開報道の範囲に限られます。決算説明会の発言は第三者が作成した書き起こしにもとづきます。内部情報には一切依拠していません。

    筆者は JAPAN AI 株式会社および株式会社ジーニーに所属しますが、本稿は Alpha Beyond Frontier における筆者個人の独立した分析であり、所属各社の公式見解を示すものではありません。本稿は特定の企業の優劣を論じるものではありません。

    記載した数値および事実は、各出典の公表時点のものです。

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  • ARRは同じ数字を数えているのか——AI企業の開示を読む

    ARRは同じ数字を数えているのか——AI企業の開示を読む

    ARRは同じ数字を数えているのか——AI企業の開示を読む

    はじめに:同じ「年間100億円」でも、意味は同じではない

    ある企業が、AI事業の年間の売上規模を100億円と発表したとする。それは、顧客とすでに結んだ契約の金額なのか。それとも、最近1か月の利用実績を1年分に換算した金額なのか。前者なら、契約内容から見積もった年間の収益規模を示している。後者なら、現在の利用ペースが1年間続いた場合の規模を示している。同じ100億円でも、将来の売上をどこまで見通せるかは異なる。

    これは仮の例だが、実際の開示でも同じことが起きている。米国の大手ソフトウェア企業3社は、AI事業の成長をそれぞれ別の数字で説明している。Salesforceは ARR(年間経常収益)、ServiceNowは ACV(年間契約額)、Snowflakeは run-rate(年換算の売上) である。見出しではどれも「AIで年間◯億ドル」と同じように読まれやすいが、数えているものは同じではない。

    本稿では、数字の大きさではなく、何を数え、いつ数え、どの事業を含めているかを比べる。先に結論を書く。企業がどの数字で成長を説明するかには、その事業の収益構造が表れる。契約を積み上げて伸びる事業と、利用の拡大で伸びる事業では、同じ年換算の数字でも意味が違う。大事なのは数字の大きさだけでなく、それが将来の売上をどこまで説明できるかである。

    1. 3社の数字は、成長の違う段階を捉えている

    年換算の数字には、大きく分けて、契約を基準にしたものと、実際の利用を基準にしたものがある。3社の公表資料を、この観点で並べると次のようになる。

    企業名SalesforceServiceNowSnowflake
    AIの数字AIエージェント・データ製品のARRAI製品のACVAIの売上のrun-rate
    公表資料での説明期末時点で締結済みの有効な契約の、年換算した経常的な価値年間契約額(AIに何を含めるかの定義は見当たらない)利用にもとづく売上の年換算と説明(算定方法は示されていない)
    基準契約契約利用
    示された場所決算発表(定義あり)決算発表決算説明会での経営者の発言

    契約を基準にした数字は、契約から見込まれる収益の規模を示す。ただし、契約が増えても、実際に使われるとは限らない。利用を基準にした数字は、いま実際に使われている勢いを示す。ただし、利用が増えても、それが長く続くとは限らない。

    AIの導入では、この差が大きくなりやすい。試験的な利用、本格的な導入、利用の拡大が、それぞれ違う時期に起きるからである。契約の数字は導入の決定を早く映し、利用の数字は現場での定着や拡大を映す。どちらを見ているかによって、同じ「前年比2倍」でも意味が変わる。ただし、各社の正式な定義がこうした段階のどこを捉えているかは、定義の文面から読み取れる範囲でしか言えない。

    では、なぜ会社によって数字が違うのか。少なくとも一つの理由は、収益の立ち方の違いである。Snowflakeは年次報告書(10-K)で、売上は契約の金額や期間ではなく顧客の利用量にもとづいて認識され、利用量は顧客の判断で変動するため、製品売上を重要な指標にしている、と理由を書いている。契約の時点で収益の大きさがほぼ決まる会社と、使われて初めて決まる会社とでは、実態をよく表す数字が違う。ARRを出していないことは、開示に消極的だという意味ではない。もちろん、指標の選び方には経営判断や過去からの経緯も関わるので、収益モデルだけで決まるわけではない。

    もう一つ見えるのは、会社全体の業績を示す数字と、AIという成長事業を示す数字は、必ずしも同じではないことだ。3社とも、10-Kには会社全体のARRを載せていない。全社の業績は会計基準にもとづく売上などで示し、AI事業についてだけ、年換算の数字を決算発表や説明会で示している。新製品の範囲が四半期ごとに動く以上、ある程度は自然なことでもある。各社がこれらの数字を出してきた経緯は、個別の記事で扱った(Salesforce、Snowflake、ServiceNow)。

    2. ARRには、共通の定義がない

    違いが生まれる出発点は、ARRが会計基準で定義された数字ではないことにある。

    米国の会計基準にも、SEC(米証券取引委員会)の規則にも、ARRの定義はない。SECは2020年に、業績の説明に使う指標についての解釈を示したが、求めたのは、定義と計算方法を明記すること、投資家に役立つ理由と経営での使い方を説明すること、計算方法を変えたらその影響を示すことである。中身は企業に任されている。

    そのため、ARRの計算方法は会社によって分かれる。代表的なものは次の4つである。

    • 契約の年額: 期末時点で有効な契約の年額。満了する契約は同じ条件で更新されると仮定する(最も多い型)
    • 月次の売上×12: その月の売上を12倍する
    • 直近四半期の売上×4: 会計上の売上をそのまま年換算する
    • 契約分+利用の年換算: 契約分に、直近の利用を年換算した額を足す

    同じ型の中でも、細部が違う。とくに利用量に応じた売上の扱いは、会社によって正反対になりうる。Datadogは月次の売上に従量分を含めて年換算し、Dynatraceは契約を超えた利用分をARRから除くと明記している。

    示唆的なのが、Datadogの上場審査でのやり取りである。2019年、SECは同社に、ある月の従量分をなぜ「経常的(recurring)」と言えるのかを問い、さらに「ARRを、Annual Recurring Revenue(年間経常収益)とAnnualized Revenue Run-rate(年換算売上)の両方の意味で使っている」と指摘した。同社は、従量分は顧客のシステムが動き続けるかぎり毎月発生し、月次の売上を年換算した額はこれまで会計上の売上とほぼ一致してきた、と説明した。そのうえで、ARRの定義から「経常的」という考え方を外した。いまの10-Kでも、同社のARRは「年換算売上」と定義され、従量分を含んでいる。

    ARRという同じ3文字が、会社によって違う言葉の略になっている。SECはその使用を禁じたのではない。何を年換算しているのか、なぜそれが妥当なのかの説明を求めたのである。

    3. AI企業の成長を、どこまで読み取れるか

    同じ会社の中で定義が変わらなければ、ARRの推移はその会社の勢いを見るのに役立つ。他社との比較は、計算方法と細部がそろう範囲でしかできない。定義の違いで数字がどれだけずれるかは、内部データがなければ外から測れない。

    そのうえで、AI製品の課金は見え方をさらに複雑にする。処理量や使ったクレジットに応じた部分が含まれることが多いからだ。ただし、すべてが従量に移るわけではない。最低利用額を契約で約束し、超えた分を従量で払う方式のように、契約と利用を組み合わせる形も多い。

    第1節で見たとおり、契約の数字は利用を示さず、利用の数字は継続を保証しない。契約と利用を組み合わせる方式では、どちらか一方の数字だけでは全体を捉えられない。利用量に応じて収益が変動するモデルでは、契約額だけでは成長を捉えきれないのである。翌月以降も同じだけ使われるのかというDatadogへのSECの問いも、この点に向けられていた。

    自社にはARRが合わないと明言する会社もある。C3.aiは10-Kのリスク要因で、少数の大口契約に依存しているため、契約が1件増減するだけでARRなどの指標が大きく振れ、将来の売上の予測には使いにくいと書いている。どの数字が実態をよく表すかは、事業モデルによって違う。

    4. 決算資料を読むときに確かめたい3つの問い

    まず、その数字が契約・請求・会計上の売上・利用実績のどれを基準にし、どの事業を含めているかを確かめる。そのうえで、次の3つを問いたい。

    1. その数字は、将来の売上をどこまで説明するのか。契約額は、その年に売上として計上される額と同じではない。利用実績の年換算は、今後も同じだけ使われることを保証しない
    2. 数字が増えた理由は何か。新しい契約、既存顧客の利用拡大、値上げ、対象製品の追加では、同じ増加でも意味が違う
    3. 翌年も同じ定義で比べられるか。Nutanixは2026年度にARRの計算方法を変え、過去の期間も計算し直した。Salesforceは、AIのARRに含める製品の範囲を広げた。対象が変われば、表面上の成長率だけでは事業の変化を読み違えうる

    あわせて、その数字が年次報告書、決算発表、経営者の発言、報道のどこで示されたものかも確認したい。指標の定義や計算方法がどこまで説明されているかによって、外部から検証できる範囲は異なる。

    おわりに:数字の選び方に、収益の立ち方が表れる

    ARRは便利な指標だが、共通の会計基準で定義された数字ではない。同じ名前でも、契約を数える会社があり、利用を数える会社があり、略語が指す言葉さえ違うことがある。

    だから、数字の名前と大きさだけでは企業の成長は比べられない。しかし、何を数え、いつ数え、どの事業を含めているかを確かめれば、その違い自体が、企業がどのように収益を生み出しているかを教えてくれ、その成長の持続性を考える手がかりにもなる。


    Disclaimer

    本稿は、各社の公表資料および公開報道にもとづく独立した分析であり、特定の組織の公式見解ではありません。

    本稿は特定の証券の売買を推奨するものではなく、投資助言・投資勧誘ではありません。 将来の株価、企業価値の割高・割安、投資判断に関する見解を示すものではありません。本稿は各社が開示する指標の定義と計算方法を比較するものであり、各社の事業や製品の優劣を評価するものではありません。

    本稿の記述は、SECへの提出書類、決算発表資料、決算説明会の公開記録、ならびに公開報道の範囲に限られます。内部情報には一切依拠していません。

    筆者は JAPAN AI 株式会社および株式会社ジーニーに所属しますが、本稿は Alpha Beyond Frontier における筆者個人の独立した分析であり、所属各社の公式見解を示すものではありません。

    記載した事実は、各出典の公表時点のものです。

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  • AIが仕事を実行するとき、価値はどこに残るのか——ServiceNowが年次報告書に書いた強みと脆さ

    AIが仕事を実行するとき、価値はどこに残るのか——ServiceNowが年次報告書に書いた強みと脆さ

    AIが仕事を実行するとき、価値はどこに残るのか——ServiceNowが年次報告書に書いた強みと脆さ

    はじめに:好決算でも株価が下がった会社

    2026年1月29日、企業向けソフトウェアのServiceNowの株価は約10%下落した。前日に発表した四半期決算は、市場予想を上回っていた。報道はこの下落を、AIが既存のソフトウェアの事業モデルを覆すのではないかという懸念と結びつけた。AIが人に代わって業務をこなすようになれば、人が画面を操作するためのソフトウェアは要らなくなる、という筋書きである。

    本稿はこの筋書きの当否を判定するものではない。代わりに、少し手前の問いを立てる。AIが答えるだけでなく業務を実行するようになったとき、企業の競争力はどこに生まれるのか。

    ServiceNowの公表資料を追うと、ひとつの答えが見えてくる。競争力は「賢い答えを出すこと」から、「誰が何を実行してよいかを決め、記録し、必要なら止められること」へ移りつつある。言い換えれば、価値が残るのはAIに何をさせてよいかを決める場所である。ただし、その場所を最終的に誰が握るのかは、まだ決まっていない。そして同社自身が、そのことを年次報告書に書いている。

    1. どんな会社か:業務フローの基盤から「AIの司令塔」へ

    ServiceNowは、企業の社内業務の流れを管理するソフトウェアを提供している。IT部門の障害対応や問い合わせ対応から始まり、人事、カスタマーサービス、セキュリティ、リスク管理へと対象を広げてきた。社員の依頼を受け付け、承認者に回し、担当者を割り当て、期限を管理し、結果を記録する。こうした手順を、部門をまたいで一つの基盤の上で動かすのが同社の事業の骨格である。

    同社が自らをどう説明しているかは、この2年で大きく変わった。決算発表の冒頭に置かれる自己紹介は、2024年4月までは「デジタル・ワークフローの会社」だった。2024年7月からは「ビジネス変革のためのAIプラットフォーム」になり、2026年1月からは「ビジネス再創造のためのAIの司令塔(AI control tower)」になっている。

    法定開示も同じ方向に動いている。2026年4〜6月期の四半期報告書(10-Q)では、事業説明の冒頭が「組織がAIを統治し、保護し、管理することを支援する」となり、「業務フローのデジタル化」は2番目に置かれた。

    AIの数字も示されている。同社は2026年4〜6月期に、AI関連の年間契約額が10億ドルを超えたと発表した。2030年までに年間契約額の30%をAIから得るという長期目標も掲げている。ただし、この「AIの年間契約額」に何が含まれるのかの定義は、公表資料には見当たらない。法定開示の主要指標にも、AI専用の項目は置かれていない。

    2. 同じ年次報告書に書かれた、強みと脆さ

    本稿の出発点は、2026年1月に提出された2025年度の年次報告書(10-K)である。前年までの年次報告書になかった段落が、二つの場所に新しく書き加えられている。

    一つは事業の説明の部分で、AIの限界について次のように書いている。

    AIモデルは、パターンを見つけ、推奨を示し、洞察を引き出すことはできる。しかし、取引を独力で実行すること、承認を回すこと、記録システムを更新すること、業務ルールや規制要件の遵守を支えることはできない。

    続けて同社は、情報が生成された「後に起きること」を方向づけ、管理し、統制する能力こそが、企業がAIを導入するときに求める価値の大部分を占める、と述べる。そして、企業に必要なのは既存の業務フローを置き換える仕組みではなく、それと統合する仕組みだとしている。

    もう一つはリスク要因の部分である。同じ報告書には、次の趣旨の記述が新しく入った。

    当社の基盤と連携している製品の提供企業は、特定の連携やデータへのアクセスを遮断し、制限し、または料金を課すことによって、当社と競争しようとする可能性がある。クラウド型の事業者やAIネイティブの事業者が、当社の製品と競合する業務アプリケーションやAIによる自動化の仕組みをさらに構築する可能性もある。

    前者は、次のような主張である。AIがどれだけ賢くなっても、実際に仕事をするときには、権限を確かめ、承認を回し、記録を残し、問題があれば止める、という仕組みを通らなければならない。そして、AIが実際に仕事をする段階では、この仕組みにも大きな価値が生まれる。冒頭で「AIに何をさせてよいかを決める場所」と呼んだのは、この仕組みのことである。後者は、「その仕組みに至る接続は他社に握られうるし、同じ仕組みを別の事業者が作りうる」という認識である。

    同じ文書のなかに、自社の強みの根拠と、その強みが崩れうる経路が、同じ年に並んで書き加えられた。開示を読む立場から見ると、これは会社が自らの競争力の所在をどこに置いたかを示す、かなり率直な記述である。

    3. AIは、人間のために作られた権限の上で動く

    では、AIに何をさせてよいかは、実際にはどのように決まっているのか。同社の製品設計を見ると、AIエージェントは新しい仕組みの上で動いているのではなく、人間の社員のために作られてきた権限の体系の上で動いていることがわかる。

    同社の社員がユーザーコミュニティで解説している設定方法によると、AIエージェントを動かすとき、企業は二つの選択肢から選ぶ。一つは、エージェントを呼び出した社員の権限をそのまま引き継がせる方法で、これが初期設定になっている。この場合、エージェントはその社員が見られない記録を見ることも、実行できない処理を実行することもできない。もう一つは、エージェント専用のアカウントを用意し、必要な権限だけを与える方法である。社員から引き継ぐ権限を一部に限定することもできる。重要な操作については、人間の確認を経てから実行させることもできる。

    つまり、AIエージェントが何をしてよいかは、AIの性能ではなく、企業がこれまで社員に対して決めてきた「誰が何にアクセスし、何を承認できるか」という取り決めによって決まる。AIは既存の業務システムを置き換えるのではなく、その権限の体系を借りて動いている。

    同社の最近の買収も、この層に向かっている。2026年3月には、約12億ドルでVezaを買収した。四半期報告書は、買収の目的を、組織が重要なデータ、アプリケーション、システム、AIに対して「誰が、そして何がアクセスできるか」を把握し統制できるようにすることだと説明している。ここでの「何が」には、人間ではないAIエージェントが含まれる。その前の2025年12月には、社員の依頼を受け付ける入口となる対話型エージェントと社内検索の技術を持つMoveworksの買収を完了している。

    入口で依頼を受け、権限を確かめ、承認を回し、実行し、記録する。同社が手を伸ばしているのは、この一連の流れの全体である。

    4. 囲い込むのではなく、通り道になる

    ここまでなら、既存の業務ソフトウェア企業が自社の領域を守ろうとしている、という話に見える。しかし同社が2026年5月に発表した仕組みは、その見方とは逆の方向を向いている。

    同社は「Action Fabric」と呼ぶ仕組みで、自社の業務基盤を、社外のAIエージェントにも開放した。発表文は、対象を「ServiceNow上で作られたものであれ、Claude、Copilot、あるいは顧客が自ら開発したエージェントであれ、あらゆるAIエージェント」としている。社外のエージェントは、AIと外部のツールをつなぐ公開の接続規格(MCP)を通じて、顧客が同社の基盤上に作り込んできた業務フロー、承認の経路、業務ルールを呼び出せる。例として挙げられているのは、社員がチャットのなかでAIに頼んだパスワードの再設定や、新しい役割に必要な権限の申請が、同社の承認経路を通って処理される流れである。

    同じ日には、Microsoftとの提携拡大も発表した。Microsoftが提供するAIエージェント群にも、同社の統制の仕組みを広げるという内容である。

    発表文で同社は、接続規格そのものは公開されたもので、多くの企業向けソフトウェア事業者が対応していることを認めている。そのうえで、差は「データを読み書きできること」ではなく、「統制された業務を実行できること」にあると述べる。社外のエージェントによる操作も、すべて同社の統制の仕組みを通り、本人確認と権限の範囲の確認を経て、監査可能な記録として残る、という説明である。

    AIエージェントの入口を自社で囲い込むのではなく、どのエージェントから来た依頼であっても、実行する前に必ず通る場所になろうとしている。前章で見た「権限の体系を借りて動く」という構造を、自社の外にまで広げた形である。

    ここに同社の競争戦略がよく表れている。同社が狙っているのは、一番賢いAIになることではない。どのAIを使っても、仕事を実行するときには必ず通る場所になることである。どのAIが選ばれても、そのAIが企業のなかで仕事をするたびに同社の仕組みを通るのであれば、AIの性能競争の勝敗とは別のところに事業の足場を置くことができる。公表資料から読み取れる同社の構想は、そういう形をしている。

    5. その場所は、まだ誰のものとも決まっていない

    ただし、ここから「ServiceNowがこの場所を押さえる」と結論することはできない。AIに何をさせてよいかを決める場所が重要になるとしても、それを一社が独占できるとは限らない。

    まず、モデル企業も同じ方向へ進み始めている。OpenAIは企業向けのエージェント製品「Presence」を発表し、その発表文で、AIを本番の業務に使うには「モデル以上のものが必要だ」と書いた。エージェントに何をさせてよいか、いつ承認が要るか、いつ人に引き継ぐかを企業が決める設計で、対象業務の例には社員のIT関連の依頼への対応も挙がっている。

    また、同社が社外のエージェントを呼び込むために使う公開の接続規格は、顧客が別の基盤へ乗り換える手間を減らす方向にも働きうる。そして、同社自身が年次報告書のリスク要因に、連携先による接続の遮断や課金、AIネイティブの事業者や顧客の自社開発との競合を書いている。

    変化の方向ははっきりしているが、その場所の持ち主はまだ決まっていない。AIエージェントは既存の権限の上に積み重なる形で広がっている。しかし、その一番上を、既存のソフトウェア企業が取るのか、モデル企業が取るのか、顧客自身が取るのかは、決着していない。

    6. AIに仕事を任せるとき、何を確かめるべきか

    この観察は、AIを導入する側の企業にとっても意味を持つ。Deloitteの2026年の調査では、2年以内にエージェント型AIの導入を計画する企業が4分の3近くにのぼる一方で、エージェントを統治する成熟した仕組みを持つ企業は21%にとどまった。導入は進んでいるが、AIに何をさせてよいかを決める仕組みの整備は追いついていない。

    AIに業務を任せる企業にとって、問うべきことは「どのAIが最も賢いか」だけではない。少なくとも次の三つを確かめる必要がある。

    • AIエージェントは、誰の権限で動くのか。社員の権限を引き継ぐのか、専用の権限を持つのか
    • AIエージェントが実行したことは、どこに、誰が確認できる形で記録されるのか
    • 問題が起きたとき、誰が、どこで止められるのか

    これらの答えがある場所に、AIに仕事を任せるときの責任が集まる。そして、責任が集まる場所に、企業が長く対価を払い続ける理由が生まれる。ServiceNowの開示が示しているのは、同社がその場所に事業の重心を移そうとしていることである。

    おわりに:価値は、AIに何をさせてよいかを決める場所に残る

    AIがより賢くなれば、それを提供する企業の価値も高まる、と考えたくなる。しかし、AIが業務を実行する段階に入ると、価値の一部は別の場所に移る。

    タイトルの問いに答えるなら、AIが仕事を実行する時代に価値が残るのは、AIそのものだけではなく、AIに何をさせてよいかを決める場所である。誰の権限で動かし、何を記録し、どこで止めるか。この役割は、AIの性能とは別のところにある。

    ServiceNowは、その場所に賭けた。そして同じ年次報告書のなかで、その場所が他社に取られうることも書いた。その場所を最終的に誰が握るのかは、まだわからない。ただ、それを見極めるために見るべきものははっきりしている。各社のAIが「何ができるか」ではなく、「何をさせてよいかを、誰がどう決められるようにしているか」である。

    Disclaimer

    本稿は、同社の公表資料および公開報道にもとづく独立した分析であり、特定の組織の公式見解ではありません。

    本稿は特定の証券の売買を推奨するものではなく、投資助言・投資勧誘ではありません。 将来の株価、企業価値の割高・割安、投資判断に関する見解を示すものではありません。本稿で触れた過去の株価の動きは報道された事実の紹介であり、その原因を断定するものではありません。

    本稿の記述は、決算発表資料、SECへの提出書類、同社のプレスリリースおよび公開ドキュメント、ならびに公開報道の範囲に限られます。内部情報には一切依拠していません。

    筆者は JAPAN AI 株式会社および株式会社ジーニーに所属しますが、本稿は Alpha Beyond Frontier における筆者個人の独立した分析であり、所属各社の公式見解を示すものではありません。本稿は特定の企業の優劣を論じるものではありません。

    記載した数値および事実は、各出典の公表時点のものです。

    References

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    はじめに:政府が顧客になると、企業には何が起きるのか

    AI企業にとって、政府が顧客になることには、どのような意味があるのだろうか。

    大規模な導入先を確保できれば、売上が生まれ、製品の利用実績も蓄積される。政府の評価を通過した実績は、民間企業への営業でも活用できるかもしれない。

    一方で、政府が求める性能やセキュリティへの対応にはコストがかかる。行政向けに製品を作り込むことが、必ずしも民間市場での競争力や収益性につながるとは限らない。

    この問いを考えるうえで、興味深い動きがある。デジタル庁は、ガバメントAI「源内」で使用する国産の大規模言語モデルについて、2026年度の無償試用を経て、2027年度から有償で調達する方針を示している。

    デジタル庁が掲げるのは、「政府需要を活用した国産AI育成」である。公表資料は「政府自ら国産AIを調達していくことで、信頼できるAIの国内開発を支援していく」とし、目的の一つに「政府調達を通じた国産AIに対する安定的な需要創出」を挙げ、その帰結を「国産AIの育成・強化、民間投資の喚起」と結んでいる。政府が買う。安定した需要が生まれる。国産AIが育ち、民間投資が呼び込まれる。想定されている道筋は明快だ。

    政府が顧客となることで、AI企業は何を得るのか。そして、その価値が政府以外の市場にも広がるには、何が必要なのか。本稿では、源内の調達制度を手がかりに考えたい。

    なお、ここでいう「最初の顧客」は文字どおり最初の購入者という意味ではなく、政府が、実務で継続的に使う大口の顧客として現れることを指している。

    前提も一つ確認しておきたい。調達は補助金の代わりに始まったわけではない。開発費を補助する事業は縮んでおらず、AI基盤モデルの開発補助は2027年度概算要求でも増額が要求されている(対象事業も年度も異なるため、国産モデルの調達額と直接比べられる数字ではない)。重要なのは予算規模の大小ではなく、企業が受け取るものの違いである。補助金は開発を支える。調達は、実際の需要を生む。

    1. 無償試用から有償調達へ

    ガバメントAI「源内」は、政府職員が生成AIを使うための共通環境である。2026年5月から、全府省庁・外局等を含む39機関、約18万人規模の大規模実証が始まっている。

    ここで使う国産の大規模言語モデルを、デジタル庁は公募で選んできた。ただし、最初の公募には条件が付いていた。「令和8年度(2026年度)中は無償で提供すること。」

    つまり2026年度は、無償での試用と評価検証を行う期間であり、モデルの有償調達は2027年度から予定されている。企業はこの期間に、行政現場での利用実績と、デジタル庁からのフィードバックを得ることになる。

    経過を時系列で見ると、段階が分かれていることがよく分かる。

    時期何が起きたか数
    2025年12月〜2026年1月公募応募15件
    2026年3月6日選定結果の公表7件を選定(うち1件は複数社の共同応募)
    2026年5月29日評価検証の契約締結5社
    2026年8月頃〜2027年3月源内上で試用・評価検証—
    2026年冬企業へのフィードバックと結果概要の公表(予定)—
    2027年度〜優れたモデルを政府調達(有償・予定)—

    当初7件が選定されたものの、その後2社から辞退の申し出があり、最終的に5社が評価検証の契約を締結したとデジタル庁は記している。

    辞退の理由は公表資料からは分からない。ただ、企業側の視点に立つと、無償提供には一定の負担が伴う。ガバメントクラウド上の推論環境で動かし、機密性2情報を扱えるセキュリティを確保し、情報提供やカスタマイズなどの技術支援を行うことが求められる一方で、将来の有償契約が保証されているわけではない。企業は、政府での利用実績や評価を得る機会と、そのために必要な費用や人員を比較して参加を判断することになる。

    政府が需要を創出しようとしても、企業側にとって参加する経済合理性があるかどうかは別の問題である。

    2. 顧客が独自の物差しを持つとき、企業は何を作るのか

    2027年度向けの公募は2026年11月に始まる予定である(資料では対象を「国産基盤モデル」と呼んでいるが、自然言語を扱うモデルが対象である点は変わらない)。ここで、評価の設計が大きく変わる。

    項目2026年度向け(無償試用)2027年度向け(有償調達)
    問題数50問300問
    評価観点—35項目・8領域
    評価方法その場で提示・秘密保持評価テストの方法等を事前に公表

    8領域には、法律・制度、行政課題、日本の価値観・歴史観、国際関係・外交といった、行政の仕事に固有の主題が並ぶ。なぜここまでするのか。公募資料はその理由を正面から書いている。「MMLUをはじめとする基盤モデルの標準的・学術的なベンチマークは知識量・論理推論・言語流暢性を主に測定するが、政府における行政実務で求められる能力は質的に異なる。」

    理由として挙げられているのは、誤った出力が政策判断、行政事務、国会対応、住民説明、制度運用、内部意思決定に影響しうることである。これは、政府が自前の物差しを作ったということである。民間で使われているベンチマークの点数では、政府が買うかどうかは決まらない。しかもその物差しは事前に公表される。企業は狙って合わせられるようになる。

    この変化は、AI企業の製品開発にも関係する。一般的なベンチマークで高い性能を示すことと、実際の顧客業務で成果を出すことは同じではない。顧客が独自の評価基準を設けるようになれば、企業はモデルそのものの性能だけでなく、顧客の業務にどこまで対応できるかを示す必要がある。

    一方で、特定顧客の評価基準に合わせた開発が、他の顧客にも通用するとは限らない。行政実務に特化した機能を開発することと、幅広い業種で使える製品を作ることの間には、経営資源の配分という問題が生じる。

    政府が独自の評価基準を設けることは、企業に求められる能力を明確にする一方で、どの顧客のために、どこまで製品を作り込むのかという経営判断にもつながる。

    そしてもう一つ。評価を通ることと、契約を取ることは別に置かれている。公募は2026年11月に始まり、2027年初めに評価テストと入札、4月から使用開始という日程が予定されている。評価テストの先に、入札がある。 落札方式は現時点で公表されていない。価格のみで決まるのか、性能と価格を総合的に評価するのかによって、企業に求められる対応は変わる。

    対比として米国の例を短く置いておきたい。連邦調達庁(GSA)が2025年4月から進める「OneGov」は、政府全体を一人の顧客として扱い、事前に交渉した共通条件で各省庁が調達できるようにする枠組みである。前面に出ているのは調達の手間と費用を下げることで、国籍の要件もない。一方デジタル庁が前面に出しているのは国産AIの育成と自律性であり、公募の対象は国内で開発されたモデルに限られる。

    どちらかが育成だけ、効率化だけ、と切り分けられるわけではない。ただ、政府が何のために買うかによって、買い方の設計が変わることは見てとれる。安く早く買うことが目的なら、共通の枠組みと割引率の交渉が中心になる。国内の産業を育てることが目的なら、対象を限り、独自の評価基準を作り、毎年評価し直す設計になる。

    3. 政府向けに作ったものを、他の顧客にも使えるか

    ここが本稿の中心である。政府が顧客になることは、企業にとって収益性、製品開発、民間市場への展開という三つの面に効く。順に見ていくと、得られるものと、その裏にある負担が対になっていることが分かる。

    収益性:売上が立つことと、利益が残ることは違う

    2026年度は無償提供である。企業はこの期間、専用環境への対応や技術支援を対価なしで負担する。費用が先に出て、有償調達は2027年度から予定されている。

    その先の収益を考えるとき、論点は二つある。

    一つは、売上の続き方である。応募は1社1モデルに限られ、すでに契約している企業も含めて改めて評価テストを受ける予定とされている。契約期間や落札方式はまだ公表されていないため断定はできないが、少なくとも制度の形としては、評価と価格の両方をその都度問われる仕組みになっている。翌年も同じ条件で続く前提で原価や人員を積むことは難しい。

    もう一つは、コストの性質である。政府向けに発生する開発・運用コストを、どれだけ他の顧客にも展開できるのか。行政固有の要件に応えるためにエンジニアが個別開発や技術支援を続ける必要があるなら、契約が続いても、売上の増加に比例してコストが増える。逆に、政府向けに開発したセキュリティ機能や外部システム連携の仕組みを他の企業にも共通の製品として提供できるなら、初期の開発費を複数の顧客から回収できる。

    料金体系は応募時に企業側が提出する。初回の公募では、サブスクリプション型・買い切り型・従量課金型が例示されていた。どれを選ぶかで、利用が増えたときに売上が伸びるのか、固定のまま原価だけが増えるのかが変わる。なお、約18万人という数字は源内全体の利用対象規模であり、個別のモデルが実際にどれだけ使われるかは公表されていない。

    製品開発:作り込みは、個別対応か、製品の改善か

    評価基準が事前に公表される意味は、製品開発の側で最も大きい。35項目・8領域という具体的な物差しが分かれば、何を直せば点が上がるかが見える。行政現場からのフィードバックも返ってくる。企業はこれを製品改善につなげることができる。

    問題は、その改善が行政実務に寄ることである。求められるのは、法令・制度・政策の知識、国会対応や住民説明に耐える正確さ、ガバメントクラウド上で動くこと、そして提出書類で新たに問われるようになったtool use(外部のツールや機能を呼び出してAIの能力を広げる仕組み)である。

    ここで分かれ目になるのは、その作り込みが特定顧客だけのための個別対応にとどまるのか、他の顧客にも繰り返し提供できる製品の改善になるのかである。政府向けに整えたセキュリティや監査対応は、金融機関など規制の厳しい業種でも使える可能性がある。一方、行政特有の文書作成や制度運用への対応は、そのまま他業種の顧客ニーズに結びつくとは限らない。

    開発の資源は有限だから、政府向けの最適化に割いた分は民間向けの優先順位から引かれる。製品が良くなることと、売れる製品に近づくことは、同じ方向とは限らない。 政府が最初の大口顧客になることの意味は、売上や利用実績を得られることだけではない。他の顧客にも繰り返し提供できる製品を作れるかどうかが、その後の事業成長を左右する条件になる。

    民間市場への展開:実績と評価は、そのまま持ち出せるか

    39機関・約18万人という規模で実運用される環境に採用された事実は、民間企業に説明するとき強い材料になる。政府の評価テストを通ったことも、体系的な能力の証明になりうる。

    ただし、どちらにも但し書きが付く。実績は行政実務という特定の用途でのものであり、評価は政府が行政実務のために作った物差しによるものである。民間企業の調達担当者が見ているのは別の基準だから、政府の評価で高い点を取ることが、民間の評価で高い点を取ることを意味するとは限らない。

    日本には、この問いに答えるデータがまだない。有償での使用が始まるのは2027年4月の予定であり、起きていないことの結果は測れない。

    補助線になる研究はある。米国のSBIR(中小企業技術革新制度)を対象にした1996年の研究は、採択企業が10年間で比較対象より有意に速く成長した一方、その効果がベンチャーキャピタルの活動が活発な地域の企業に限られていたことを報告している。政府支援が企業成長に結びつく効果は、民間の資金供給環境によって異なり得る。政府の支援を持続的な成長へつなげるには、政府以外の顧客や資本との接続も重要な検討課題となる。

    ただしこの研究が示すのは政府支援と企業成長の関係であって、政府から民間への顧客の広がりではない。制度も時代も市場も異なるため、そのまま日本には当てはめられない。

    整理するとこうなる。

    観点政府が顧客になることで得るもの持続的な成長につなげるために要ること
    収益性2027年度からの有償調達という新たな売上機会政府固有の対応コストを、他の顧客にも展開できる形にすること
    製品開発公表された評価基準、行政現場からのフィードバック個別対応ではなく、繰り返し提供できる製品の改善にすること
    民間展開大規模な実運用環境での採用実績、体系的な能力の証明行政以外の用途でも能力を説明できること

    右側は、どれも調達制度の設計だけでは用意できない。

    おわりに:何をもって成果とするか

    政府が顧客になることは、AI企業に新たな需要と、実際の業務を通じて製品を改善する機会をもたらす。しかし、それだけで企業の持続的な成長が約束されるわけではない。

    政府向けの開発投資が継続的な収益につながるのか。行政現場で得られた知見が、他の顧客にも通用する製品の改善につながるのか。そして、政府での実績が民間市場における顧客獲得や資金調達にも生かされるのか。

    今後の政府調達を見る際には、選定企業数や契約金額だけでなく、こうした企業の事業構造の変化にも目を向けたい。

    観測できる材料はいくつかある。2026年11月に公募が始まる予定であり、そこで何社が手を挙げるかが分かる。2026年度の試用で2社が辞退したことを思い出せば、何社が選ばれたかと同じくらい、何社が応じたかが、この制度の実際の引力を教えてくれる。2026年冬には、評価検証の結果の概要が公表される予定とされている。そこで政府が何を良しとしたのかが分かる。

    政府が最初の顧客になることは、企業に成長の機会を与える。その機会を持続的な事業へと発展させられるかどうかは、調達制度の設計だけでなく、企業自身の製品戦略と事業展開にも関わっている。

    Disclaimer

    本稿は、デジタル庁・経済産業省・内閣府および米国GSAの公表資料にもとづく、筆者個人の独立した分析です。内部情報には一切依拠していません。

    本稿は特定の政策・制度・事業者を推奨または批判するものではありません。応募・選定・契約・辞退のいずれについても個別の事業者名を記載しておらず、個別の評価も行っていません。政策の意図は推定せず、本稿執筆時点で公表されていない事項(落札方式・契約期間・調達金額など)は記載していません。

    本稿は投資助言・投資勧誘ではありません。特定企業の採択可能性、製品性能、調達価格の評価を目的とするものではありません。

    筆者は JAPAN AI 株式会社および株式会社ジーニーに所属しますが、本稿は Alpha Beyond Frontier における筆者個人の見解であり、所属各社の公式見解を示すものではありません。記載した数値および事実は、各出典の公表時点のものです。

    References