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  • 海外VCから見た日本のスタートアップ市場——何が魅力で、何が障壁か

    海外VCから見た日本のスタートアップ市場——何が魅力で、何が障壁か

    海外VCから見た日本のスタートアップ市場

    Introduction

    日本のスタートアップ市場に、海外からの資本が流入し始めている。PitchBookの「2024 Japan Private Capital Breakdown」によれば、2024年時点の日本のVC投資額の約45%に海外投資家が関与しており、これは2015年以降で最も高い水準である。Andreessen Horowitz(a16z)がアジア初の拠点として東京オフィスを開設し(2024年8月)、Sakana AIがNEA・Khosla Ventures・Lux Capitalのリードで約300億円のシリーズAを調達(2024年9月)したことは、この動きの象徴的な事例と言える。

    しかし、これを単に「日本ブーム」と見るのは正確ではない。背景にはグローバルVC市場全体の資本配分の変化がある。本稿は、前稿の「なぜスタートアップのグローバル展開は難しいのか」が分析した「日本のスタートアップが外に出る難しさ」の裏面——海外の資本が日本に入る際に直面する構造——を分析する。

    本稿の問いは3つである。(1) なぜ今、日本なのか。(2) 何が構造的な障壁になっているか。(3) この構造は変わりつつあるか。先に結論を示すと、本稿の中心的な主張はこうである——問題は資本が来ないことではなく、来た資本がスケールできない構造そのものである

    なぜ今、日本なのか——VCの重心移動

    日本が投資先として注目されているのは、日本が突然変わったからではない。グローバルVCが取りにいくリターンの源泉が変わった結果、日本が選択肢に浮上している。

    近年、ソフトウェアやAIアプリケーション領域では競争が激化し、資本に対して超過収益を生み出す余地が相対的に縮小してきた。その結果、VCの関心は短期的な成長率よりも、技術優位や研究開発力が競争力の源泉となるディープテック——素材、バイオ、ロボティクス、エネルギー技術など——へ広がっている。

    この文脈で、日本は特異な位置にある。大学・企業の研究基盤、製造業との接続可能性、知的財産の蓄積を持ちながら、法治国家としての制度的安定性と地政学的な予測可能性を備えている。中国への投資リスクが意識される中、「China + 1」のVC投資版として日本が再評価されている側面もある。

    ただし、海外VCにとっての日本は「次の高アルファ市場」というより、グローバルポートフォリオの分散先としての位置づけが先立つ。米国・中国・インドにアロケーションする際の地政学的・経済的なヘッジとして、日本が「リスク調整後リターンが安定的に取れる場所」として組み込まれている、という見方が現実に近い。

    数字は、日本への資金流入が拡大していることを示している。Preqinのデータ(JETRO経由)によれば、日本向けのドライパウダー(未投資資金)は過去10年間で7倍以上に増加した。S&P Global / PitchBook のデータによれば、2024年のPE・VC合計投資額は179億ドルで前年比40.8%増、2025年にはさらに52.5%増の約290億ドルに達している。a16zの東京進出やSakana AIの大型調達は、この潮流の象徴的な事例として位置づけられる。

    ただし、資本の流入が増えていることと、その資本が日本市場でスケールしリターンを生むことは別の問題である。本稿の中心的な論点はここにある——問題は資本が来ないことではなく、来た資本がスケールできない構造そのものである

    魅力の構造——何が海外VCを引きつけているか

    海外VCが日本市場に関心を持つ理由は、技術基盤、市場規模、バリュエーション、地政学の4つの構造に整理できる。

    技術基盤と市場

    日本は企業のR&D支出がGDP比で世界上位に位置し、素材科学、ロボティクス、精密機器、バイオテクノロジーの分野で深い技術蓄積を持つ。製造業との接続——研究室の技術をスケールできる産業インフラ——は、米国のソフトウェア中心のエコシステムにはない強みである。前稿ではディープテック投資とVCの時間軸の構造的不適合を分析したが、日本はまさにその長期的な投資対象が集積している場所でもある。

    同時に、GDP世界第4位の経済規模はR&D拠点にとどまらず、B2Bソフトウェア、ヘルスケア、モビリティなど技術の社会実装を進められる初期市場としても機能する。

    バリュエーションの構造的な割安感

    日本と米国のスタートアップバリュエーションには、ステージを問わず大きな差があることが観察される傾向として指摘されている。以下は各種国内外データ(INITIAL、Carta、各種VCレポート等)から観察される一般的なレンジ感である。

    ステージ日本(観察されるレンジ)米国(観察されるレンジ)
    Seed5,000万〜2億円($0.3M〜1.4M)$1M〜5M
    Series A2億〜8億円($1.4M〜5.5M)$8M〜20M
    Series B10億〜30億円($7M〜21M)$25M〜60M

    2020年以降、格差は縮小傾向との指摘もあるが依然として大きい。背景の一つは、Exit環境の制約(後述)が期待リターンの上限を抑制している構造である。もう一つの要因として、日本では特にミドル〜レイター段階での大型資金供給が相対的に限定的であり、結果としてラウンドサイズが小さくなりやすいという市場構造がある。これは創業者の選好というよりも資本供給サイドの制約であり、成長速度や市場期待を通じて、間接的にバリュエーション形成にも影響している可能性がある。

    海外VCにとっては「同等の技術を持つ企業に、より低い入口で投資できる」機会として映る一方、国内の資金供給構造とラウンド設計の慣行が米国と異なる以上、米国型の大型ラウンド設計をそのまま持ち込むには難しさが伴う。

    地政学的シフト

    2023年のSequoiaの中国事業分離に象徴されるように、中国への投資リスクが顕在化する中、アジアポートフォリオの再構成が進んでいる。日本は法治国家としての予測可能性、知的財産の保護、通貨の安定性を備え、リスク調整後のリターンの観点から再評価されている。

    障壁の構造——なぜ投資実行が難しいのか

    魅力は実在する。しかし、海外VCが実際に投資を実行し、モニタリングし、Exitに至るプロセスでは、複数の構造的障壁が存在する。

    言語とコミュニケーション

    英語での経営報告・取締役会運営が可能な日本のスタートアップは少数派である。EF英語能力指数(2025年版)で日本は116カ国中96位で「非常に低い」バンドに位置するが、これは個々の創業者の語学力ではなく、エコシステム全体の特性である。

    言語の壁は単なるコミュニケーションの不便さにとどまらない。デューデリジェンスの情報取得コスト、投資後のモニタリング精度、取締役会での意思決定参加——すべてに影響する。海外VCにとって、言語は情報アクセスと意思決定参加の前提条件である。

    ガバナンス慣行の違い

    日本のスタートアップのガバナンス慣行は、米国の標準と複数の点で異なる。これらの違いは歴史的な企業文化というよりも、スタートアップエコシステムの成熟度、契約実務の標準化の進展度、投資家・起業家双方の経験値の蓄積の違いとして理解する方が実態に近い。

    具体的には、初期段階の取締役会に独立取締役が置かれないことが多く、投資家の取締役席はオブザーバー権にとどまるケースがある。優先株式(種類株式)の利用は経済産業省のガイドライン類の整備以降広がってきたが、米国型Series Preferredほど条項の定型化は進んでいない。Drag-along権・Tag-along権・希薄化防止条項などは多くの案件で採用されているものの、設計や標準化の度合いにはばらつきがあり、情報開示の水準もVCが期待する粒度に届かないケースがある。

    J-KISS(2016年、当時の500 Startups Japan——現Coral Capital——が開発)はシード段階の投資契約を標準化する一歩となったが、レイターステージではカスタム条件が主流であり、NVCA型の標準化には至っていない。

    Exit構造——「小さく上場する」問題

    海外VCにとって最も深刻な構造的障壁は、Exit環境である。その本質は単に「IPOが小さい」ことではなく、日本のIPOはExitとしての機能が相対的に弱いことにある。

    EY Japanによれば、東証グロース市場のIPO件数は2024年64社、2025年41社で推移している。グロース市場の公開価格ベース時価総額中央値は2024年の58億円から2025年には102億円へと約8割上昇しており、改善の兆しは見える。しかし米国では時価総額10億ドル規模のIPOが行われることも珍しくないのと比較すると、依然として桁が一つ違う。海外VCがファンドリターンを構築するのに十分なExitサイズには遠い水準である。

    ここで重要なのは、米国と日本でIPOの機能が完全に切り替わるというよりも、上場後の資金供給環境と流動性の厚みに大きな差があるという点である。米国ではIPOがVCの回収手段として機能するだけでなく、上場後も継続的に大型の資金調達が可能な厚みのある市場が存在する。一方、日本ではグロース市場の流動性が薄く機関投資家の参加も限定的であるため、上場後の資金調達と株式流動化のいずれもが制約を受けやすい。結果として、海外VCにとってIPOが十分なExit機能を果たしにくいだけでなく、上場した企業自身にとっても継続的な成長資金の確保が課題となる構造が並存している。

    VCにとってのExit——投資株式を流動化してファンドにリターンを返す機能——は、この構造のもとで弱くなる。グロース市場の薄い流動性、ロックアップ後の株価ボラティリティ、機関投資家の限定的な参加が組み合わさり、$10M〜20Mの投資を行う海外VCにとって、$50M程度の時価総額でのIPOでは十分なリクイディティが確保できない。

    M&A市場も未発達である。日本のスタートアップ関連M&Aは年間でも数百件規模にとどまり、大半は数十億円規模の取引である。大企業の買収消極性には構造的理由がある——稟議制度の遅さ、PMI経験の不足、J-GAAPにおけるのれんの規則的償却義務(最長20年、IFRS/US-GAAPの非償却+減損モデルとは異なり、買収直後から営業利益を継続的に圧迫する)、終身雇用規範との文化的摩擦である。

    このうち会計上の制約については、まさにスタートアップM&Aの促進を理由として、2025年から金融庁・企業会計基準委員会(ASBJ)で見直し議論が進んでいる。経済同友会等からの提案を受け、のれんの非償却を選択肢として認めるかが審議されてきた。当初は2025年度中にも方向性が示される予定だったが、会計基準の一貫性維持や無形資産の切り分けの厳密性をめぐる懸念から議論が二分し、結論は2026年度に持ち越されている(日本金融通信社、2026年3月)。

    仮に基準変更が決まったとしても、実際の標準改訂と実務への定着までにはさらに時間を要する。会計実務という相対的に「動かしやすい」と思われる領域でさえ、構造の変化はこの速度でしか進まない。Exit構造そのものの改革に必要な時間は、これよりさらに長い。セカンダリー市場は黎明期にあり、米国のForgeやCartaに相当する流動的な取引基盤は存在しない。

    この「small exit trap」——IPOは多いが小さく、M&Aは少なく、セカンダリーは未成熟——は、海外VCのファンド経済学と根本的に相性が悪い。

    情報アクセスとディールフロー

    日本のVCエコシステムのディールフローは紹介ベースで構成されている。既存の投資家、アクセラレーター、企業パートナーからの紹介が主要なチャネルであり、コールドアウトリーチの転換率は低い。

    これは単なる「閉鎖性」の問題ではなく、日本のビジネスが関係性市場として構築されていることの一側面である。新規参入者にとっては高い障壁だが、ネットワークに入った参加者にとっては安定した取引基盤として機能する。海外VCにとっての含意は、関係性ネットワークへのアクセスを構築する時間軸と、それを支える現地体制への投資が、ファンドの設計段階から織り込まれていなければ機能しないということである。英語で利用可能な情報源は依然として限定的で、海外VCがディールフローを構築するには時間とコストがかかる構造が残っている。

    法務・規制

    外為法は安全保障関連セクターへの外国投資に事前届出を求める(2019年改正で閾値引下げ)。ソフトウェア系の大半は免除されるが、半導体、安全保障関連AI、バイオなどのディープテック領域——まさに海外VCの関心が高い分野——では審査対象となりうる。処理期間30日(延長可能)がディールタイムラインに摩擦を加える。

    障壁の分類

    これらの障壁は一様ではない。時間軸と対応レベルで分類すると、構造が見えてくる。

    時間と慣行の変化で解ける可能性のある障壁: 言語対応、投資契約慣行の標準化、情報アクセスの改善。これらは個社レベルの努力やエコシステムの成熟で徐々に変わりうる。

    構造的介入なしには変わりにくい障壁: Exit構造(IPO偏重・小型上場、M&A市場の未発達)、ガバナンス慣行の根本的な改革、セカンダリー市場の整備。これらはエコシステムレベルの変化や制度的介入を必要とする。

    海外VCから見た日本市場の魅力と障壁

    参入パターンとその帰結

    海外VCの日本参入は、大きく3つのパターンに類型化できる。

    現地拠点設置型——a16z(東京オフィス)、Plug and Play Japan、Eight Roads Ventures Japan等。ディールフローの構築とモニタリング精度が高い一方、拠点コストとバイリンガル人材の獲得が課題となる。

    現地パートナー提携型——日本VCとの共同投資を主軸とする形態。Series B以降で海外VCが現地VCのリードに参加するパターンが典型例である。情報アクセスとリスク分散のメリットがある一方、案件選択の自律性は制約される。

    リモート投資型——本国からの直接投資。NEA・Khosla Ventures・Lux CapitalによるSakana AIへの投資が成功例だが、これは創業チームがグローバルな研究者ネットワークを持つ特殊なケースでもある。英語での経営が前提となる一部の企業に投資対象が限定されやすい。

    500 Startups JapanがCoral Capitalとして独立した事例は示唆的である。グローバルブランドの日本展開が現地チームのスピンアウトにつながったことは、日本市場での運用には現地への根差しが不可欠であることを示している。

    海外VCの日本参入パターンの3類型

    変化の兆し

    変わりつつあること

    海外VCの日本進出は加速している。2024〜2025年にかけて、Vertex Ventures Japan(Vertex Holdings / Temasek系、2024年ファンドローンチ)、Eurazeo(フランス系、2024年東京オフィス開設)、BLOCK71(NUS Enterprise系、2024年名古屋・2025年東京)などが相次いで参入した。制度面では、スタートアップ育成5か年計画(2022年)が海外VC誘致やクロスボーダーLP出資の拡大を掲げ、JIC(産業革新投資機構)がクロスボーダーファンドへのLP出資を進めている。経済産業省はモデル契約書や投資契約に関する留意事項を順次公開しており、NVCA型の標準に近づける動きも見える。

    変わっていないこと

    しかし、構造的に根深い問題は残っている。Exit環境(IPO偏重・小型上場)は制度改革なしには変わりにくい。大企業のM&A消極性は、のれん償却を含む会計実務、稟議文化、PMI経験の不足という複合要因に根ざしている(のれん償却ルールはASBJで見直し議論中だが、結論と実務定着には時間がかかる)。海外VCに特化した誘致策の手厚さでも、シンガポールのスタートアップビザ制度やファンド向け税制優遇と比較すると、日本は相対的に手薄である。

    変化の条件

    構造が動くために必要な条件は3つある。(1) Exit環境の多様化——M&A・セカンダリーの実効的な拡充。(2) 機関投資家のクロスボーダーLP出資の拡大。(3) 情報インフラの整備——英語での企業データベースとクロスボーダー投資データの体系的な公開。これらは独立に進むものではなく、複数の条件が同時に改善する必要がある。

    Implications

    ここまでの分析は、関係する主体それぞれにとって異なる意思決定の枠組みを示唆する。

    スタートアップにとって: 海外VCから調達するか否かは、単なる資金源の選択ではなく、グローバルExit戦略を取るか、国内Exitに留めるかの戦略的な選択である。中途半端な英語対応やガバナンス整備では、海外VCの期待には応えられない。海外VCを入れる以上、Exitも英語経営も米国基準で設計する覚悟が必要であり、それを取らないなら国内VCで完結する設計の方が一貫性がある。

    国内VCにとって: 海外VCとの共同投資は、ポートフォリオ企業のExit選択肢を米国市場に開くか、国内Exitに留めるかの選択を伴う。Series B以降のラウンド設計、株主間契約の構造、英語経営への移行支援を、ポートフォリオ全体の戦略として位置づける必要がある。海外VCを「単なる追加資本」として扱う限り、価値の取り込みは限定的になる。

    政策にとって: 海外資本誘致の本質は、誘致策そのものではなく「資本がスケールできる構造」を作ることである。具体的には、Exit改革(IPO後の流動性向上、機関投資家の参加拡大、M&A市場の活性化、のれん償却規則の見直し)と、それに連動した資本市場改革なしには、いくら誘致イベントや税制優遇を講じても効果は限定的に留まる。重要なのは「資本を呼び込むこと」ではなく「呼び込んだ資本がリターンを生めること」である。

    Conclusion

    日本が投資先として浮上しているのは、日本が劇的に変わったからではなく、グローバルVCの投資テーマが変わったからだ。ディープテック回帰と地政学的シフトの中で、R&D基盤・産業アセット・制度的安定性を備えた日本が、グローバルポートフォリオの分散先として再評価されている。

    しかし、本稿の中心的な論点を改めて言い切れば、こうなる——問題は資本が来ないことではなく、来た資本がスケールできない構造そのものである。Exit機能としてのIPOの相対的な弱さ、ミドル〜レイター段階の大型資金供給の制約、関係性市場としてのディールフロー、標準化がまだ道半ばのガバナンス慣行。これらは個別の障壁ではなく、相互に補強し合いながら「資本がスケールしない構造」を形成している。

    障壁のうち、何が時間の経過で解消し、何が制度的介入を必要とするかを見極めること——そして、構造の一部だけを変えても全体は動かないという現実を直視することが、スタートアップ・VC・政策のいずれにとっても出発点になる。

    References and Further Reading

    • PitchBook, “2025 Japan Private Capital Breakdown” (2025) — 日本のVC投資の45%に海外投資家が関与
    • PitchBook, “6 Charts: Japan’s VC Market Recovery” — 日本のVC市場回復の定量データ
    • JETRO, “Global Venture Capital Firms Add Spark to Japan’s Startup Ecosystem” — 海外VCの日本進出動向
    • JETRO, “Foreign Funds Find New Opportunities in Japan” — 海外ファンドの日本投資機会分析
    • JETRO, “Overview of Japanese Startup Investment for US Venture Capitalists” (April 2025) — 米国VC向け日本スタートアップ投資概要
    • JIC Research, “Global and Japan VC Market Update” (2024, 2025 H1) — グローバル・日本VC市場のマクロデータ
    • IMF, “Startups and Venture Capital in Japan” (2024) — 日本のスタートアップとVCの構造分析
    • Chambers and Partners, “Venture Capital 2025: Japan — Trends and Developments” — 日本VC市場の法的・制度的動向
    • OECD, “FDI Restrictiveness Index” — 各国の外国直接投資制限指数
    • Crunchbase, “A Deep Dive into Japan’s Innovation Ecosystem” — 日本イノベーションエコシステムの概観
    • 日本金融通信社, “金融庁、スタートアップ『のれん償却』で議論二分 M&A推進巡り、結論翌年度に” (2026年3月25日) — のれん非償却化議論の最新動向
    • EY Japan, “2025年の株式・IPO市場の振り返り” — グロース市場のIPO件数と時価総額中央値(2024年・2025年)

    本稿の見解はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織の公式見解でもありません。分析は公開情報に基づいています。

  • ディープテック投資はなぜ既存のVCモデルと合わないのか

    ディープテック投資はなぜ既存のVCモデルと合わないのか

    Introduction

    ディープテック投資には、ひとつの逆説がある。

    BCGが2023年にPreqinのデータを用いて行った分析(An Investor’s Guide to Deep Tech、従来テック911ファンド vs ディープテック特化164ファンド)によれば、ディープテック特化VCファンドの非加重平均IRRは約25%であり、従来テックファンドの約26%とほぼ同等である。Exit構成も企業買収(従来テック53% vs ディープテック51%)、IPO(36% vs 31%)と大きな差はない。リターンの水準だけを見れば、ディープテックは十分に魅力的な投資対象である。

    にもかかわらず、ディープテック投資がVCにとって構造的に難しいのは、同じリターンを得るのに必要な時間が長いからである。同じBCGの分析は、ディープテック企業がシードからSeries Dまでの各ラウンド間で、従来テック企業より25〜40%長い時間を要することを示している。シードからSeries Dまでの累積では約95ヶ月に対し、従来テックは約75ヶ月である。

    本稿の中心的な主張はこうである。ディープテック投資の難しさは技術リスクではなく、VCのファンド構造が前提とする時間軸と、ディープテック投資が必要とする時間軸の構造的不適合にある——しかもリターン自体は見劣りしない。

    前稿ではCVCの構造的課題を分析し、CVCが長期時間軸での投資に強みを持ちうることを指摘した。本稿ではその対極——独立VCの時間軸制約——を正面から分析する。

    ソフトウェアとディープテック: 時間の構造が違う

    議論の前提として、ソフトウェア/SaaS型スタートアップとディープテック企業の時間軸を対比する。

    項目ソフトウェア / SaaSディープテック
    技術実証 / PMF1〜2年3〜7年
    Seed → Series D約75ヶ月(BCG 2023)約95ヶ月(BCG 2023)
    Exit までの期間中央値 5〜9年中央値 9年超、セクターにより10〜20年
    主なリスク市場リスク、実行リスク技術リスク、スケールリスク、規制リスク
    各ステージの失敗率Seed→A: ~90%, A→B: ~70%Seed→A: ~95%, A→B: ~80%(BCG 2023)
    プロダクトの性質ソフトウェア80%超が物理プロダクト(BCG 2023)
    IRR(非加重平均)約26%(従来テックVC)約25%(ディープテック特化VC)

    注目すべきは最終行である。IRRが約25% vs 約26%——リターンの水準に有意な差はない。しかし表の上半分を見れば、そのリターンに到達するまでの時間と、途中の失敗確率には明確な差がある。

    問題はリターンではなく、そのリターンに到達するまでの時間である。この逆説が、以降の議論の出発点になる。

    ディープテックとは、科学的発見・工学的ブレークスルーに基づく技術で、商用化に長期の研究開発を要するものを指す。量子コンピューティング、核融合、合成バイオロジー、先端素材、クリーンエネルギーなどが典型例である。セクター別の時間軸を見ると、その長さが具体的にわかる。

    • 医薬品: 発見から承認まで平均10〜12年。Phase I(2.3年)→ Phase II(3.6年)→ Phase III(3.3年)→ 承認審査(1.3年)。疾患領域によって9.2〜12.2年の幅がある(PMC査読論文)
    • エネルギー技術: インキュベーションから製造段階まで8〜10年(IEA / Frontiers in Energy Research, 2022)。商用スケールのプラント建設にはさらに時間がかかる
    • 先端素材: 初期の材料発見から最初の商用化まで10〜20年、本格的な生産規模の確立にはさらに5〜10年(DOE / National Academies)

    これらのタイムラインには、研究開発だけでなく、規制承認、サプライチェーン構築、インフラ整備が含まれる。技術が「動く」ことの証明と「商用化できる」ことの証明は、別の時間スケールの問題である。

    VCモデルの時間設計: なぜ10年なのか

    VCのファンド構造は、LPへのリターンを一定の期間内に実現するために設計されている。この構造を時間軸の観点から整理する。

    10年ファンドの内部構造

    VCファンドはLP(資金の出し手)とGP(運営者)で構成される。標準的なファンド期間は10年。前半の3〜5年が投資期間、後半がハーベスト期間(Exit・分配)にあたる。多くのファンドは1〜3年の延長条項を持つが、LP承認を要し無制限ではない。

    ファンドのリターンは「J-curve」パターンをたどる。設立から数年間はマネジメントフィー(通常2%)と未実現損失でNAVがマイナスに沈み、Year 6頃からExitが始まって曲線が上向く。

    IRR最大化と時間の関係

    ここで重要なのは、VCのパフォーマンス指標であるIRRが時間の関数であるということだ。IRRは、同じ倍率(MOIC)のリターンでも、それをより短期間で実現するほど高くなる。10年で3倍のリターンを出すファンドと、20年で3倍のリターンを出すファンドでは、MOICは同じでもIRRは大きく異なる。

    この性質がGPのインセンティブ構造に直結する。GPの主要報酬であるキャリー(成功報酬、通常リターンの20%)はExitが実現して初めて発生する。加えて、GPが次号ファンドを調達する際にはIRRが評価基準になる。つまり、GPにとっては「大きなリターンをゆっくり得る」よりも「そこそこのリターンを早く得る」ほうが合理的な場合がある。

    この構造の下では、時間のかかるディープテック投資はGPにとって二重の不利を生む。リターンまでの時間が長いためIRRが下がり、次号ファンドの調達も難しくなる。優秀なGPほどこのインセンティブを理解しているため、ディープテック投資比率を自主的に制限する合理的な理由がある。

    10年ファンドの現実

    なお、10年という期間は法的な標準であって、実態とは乖離している。Silicon Valley Bankの2025年前半の市場レポート(State of the Markets H1 2025)のデータに基づくUnlisted Intelの分析によれば、トップクォータイルの米国VCファンドが完全にLPへ資本を返還するまでに16〜20年を要するようになっている。PitchBookも2024年Q4のアナリストノートで「10年ファンドの変容する経済性」を正面から分析し、米国ユニコーン企業の約40%が設立9年以上であることを指摘している。10年のファンド期間は、もはやソフトウェア投資であっても十分とは言えなくなりつつある。ディープテックでは、この制約がさらに深刻になる。

    構造的不適合: 何がどこで衝突するか

    以上を踏まえると、VCのファンド構造とディープテック投資の間には、具体的に以下の不適合がある。

    なお、以下に述べる不適合は、VCの構造が「間違っている」ことを意味しない。VCの10年ファンド、IRRベースの評価、キャリーによるインセンティブ設計は、いずれもLPへの受託者責任を果たすための合理的な仕組みであり、ソフトウェア投資においては効果的に機能してきた。問題は、この合理的な構造がディープテックの時間特性と組み合わさったときに、意図せず不適合を生じさせるという点にある。

    ファンド期間と商用化期間のミスマッチ

    投資期間(前半3〜5年)にディープテック企業に投資した場合、ハーベスト期間(後半5〜7年)内にExitを実現する必要がある。しかし、投資時点でTRL 3〜5——概念実証が済み、実験室での検証が進行中だが、実環境での実証には至っていない段階——にある技術が、5〜7年で量産・商用化(TRL 9)に到達する保証はない。

    NASAが開発したTRL(Technology Readiness Level)のフレームワークで言えば、大学・公的研究機関がTRL 1〜4をカバーし、民間VCはTRL 7以上で関与するのが一般的である。TRL 4〜7のあいだには「Valley of Death」——公的資金にとっては「出口」、民間資本にとっては「早すぎる」段階——が存在する。Branscomb & Auerswald(2002)がNIST向け研究で指摘して以来20年以上、この構造的な資金ギャップは根本的には解消されていない。

    延長条項(+1〜3年)を加えても合計13年程度であり、医薬品開発(10〜15年)やエネルギー技術の商用化には足りない可能性が高い。

    J-curveの深化とGPのインセンティブ問題

    ディープテック企業は研究開発コストが大きく収益化が遅いため、ファンドのJ-curveはソフトウェアVCよりも深く長くなる。LP分配が遅れるとファンド評価が低くなり、GPの次号ファンド調達に直接影響する。前節で論じたIRRと時間の関係がここで具体化する。ディープテックに投資するほど次号ファンドの調達が難しくなるという構造的なインセンティブの逆転が生じうる。

    Exit構造の制約

    ディープテック企業のExit選択肢は構造的に狭い。売上・利益が不安定な段階でのIPOは困難であり(バイオテックは例外的に整備されている)、M&Aの買い手は特定産業の大企業に限られる。

    ディープテックExitの件数自体は増加傾向にある。TechCrunch / MFV Partners(2023)のデータでは、2013-2017年の年19件から2018-2022年の年49件へ増加し、ユニコーンExitは550%増加した。しかしソフトウェア領域と比較すると依然として規模は小さい。

    リスクの性質の違い

    ソフトウェアスタートアップのリスクは市場リスク(PMFが見つかるか)と実行リスクであり、1〜3年で判明する。VCのリスク評価フレームワーク——月次トラクション、KPI、マイルストーン——はこの種のリスクに最適化されている。

    ディープテックのリスクは質的に異なる。技術リスク(物理的に実現可能か)、スケールリスク(量産できるか)、規制リスク(承認を得られるか)は長期にわたって解消されない。BCG(2023)のデータでは、ディープテック企業は各ステージで従来テックより高い失敗確率を持つ(Seed→Series A: 約95% vs 約90%、Series A→B: 約80% vs 約70%)。しかも80%超が物理プロダクトを開発しており、エンジニアリングと量産のリスクが加わる。

    GPの専門性と投資可能領域の問題

    時間軸の問題に加えて、ディープテック投資にはもう一つの構造的な制約がある。技術評価の専門性(selection capability)の問題である。

    既存のVCの多くは、ソフトウェア投資に最適化された経験と評価軸を持っている。PMF、ユーザー成長率、MRR/ARR、チャーンレートといった指標は、ソフトウェアスタートアップの進捗を測るために洗練されてきた。しかし、「新しい触媒が工業スケールで機能するか」「この合成経路が量産に耐えるか」といった問いは、これらの指標では評価できない。

    バイオテックは例外的にこの問題を制度化によって乗り越えてきた。PhD保持者やMDを擁するGP、科学アドバイザリーボードの設置、FDA承認プロセスという共通の評価フレームワークの存在——これらにより、バイオテック投資に必要な専門性はVC業界内で蓄積・伝達される仕組みが一定程度構築されている。IPO市場もバイオテックに対応した仕組みを持っている。

    しかし、それ以外のディープテック領域——エネルギー、先端素材、ハードウェア、宇宙——では事情が異なる。これらの領域には3つの特徴がある。第一に、対象技術の範囲が極めて広く、ひとつのファンドが先端素材と核融合の双方を評価する専門性を持つことは現実的には難しい。第二に、評価軸が領域ごとに異なり、ソフトウェアのようにトラクション指標で横断的に比較することができない。第三に、Exitパターンが確立しておらず、投資判断の「成功の型」が業界内で共有されにくい。

    これはVCの「能力不足」ではない。ディープテックの各領域が、それぞれ固有の科学的知見を要求するという構造的な性質に起因している。なぜ専門性の蓄積が構造的に難しいかをもう一段掘ると、バイオテックとの対比が明確になる。バイオテックでは、臨床試験のPhase I→II→IIIという共通のステージ構造があり、業界横断的に「Phase IIデータが良い会社は投資に値する」という評価の文法が共有されている。一方、エネルギー技術の「パイロットプラント成功」と先端素材の「量産プロセス確立」は、名前は似ていても必要な専門知識がまったく異なる。共通の評価文法が存在しないため、ある領域で蓄積した知見が別の領域に転用しにくい。専門性のスケーラビリティが低いのである。

    評価できないものには、資本は配分されにくい。時間軸の問題とは別に、この専門性の壁がディープテック投資の構造的なボトルネックになっている。

    ファンド構造の設計選択肢

    構造的不適合が明らかであるならば、問いは「ディープテックに投資しないこと」ではなく「どのような資本設計であれば適合するか」に移る。以下に主要な選択肢を整理する。いずれも万能ではない。

    時間軸の問題に対するアプローチは、大きく3つに分類できる。

    1. 延ばす——ファンド期間そのものを長くする、あるいは期間の制約を取り除く(長期ファンド、エバーグリーン型)
    2. 入れ替える・つなぐ——ファンド期間を延ばすのではなく、途中で資本の担い手を交代させる(セカンダリー取引、事業会社との接続)
    3. 内製化する——投資対象の創出・育成プロセスを内部化し、時間軸そのものをコントロールする(Venture Creation)

    これらは排他的ではなく、組み合わせによって効果が高まりうる。以下、順に整理する。

    延ばす: 長期ファンド(15-20年)/ エバーグリーン型・パーマネントキャピタル

    最も直接的な対応は、ファンド期間そのものを延ばすことである。

    Breakthrough Energy Ventures(BEV)は20年のファンド期間を設定し、BEV I(約10億ドル)、BEV II(約12.5億ドル)、BEV III(約8.4億ドル)で気候技術に投資している。MIT発のEngine Venturesは18年のファンド期間で「Tough Tech」に投資し、AUM 10億ドル超。他にもFuture Ventures(15年)、Ahren Innovation Capital(最大15年)といった事例がある(BCG, 2021)。

    ただし、長期ファンドには固有の課題がある。BEVのLPはBill Gates、Jeff Bezos、Marc Benioffら推定総資産1,700億ドル規模の超富裕層個人であり、15〜20年の流動性制約を受容できる特殊なLP構成に依存している。機関投資家が主体のLP基盤でこのモデルが成立するかは、まだ見通せない。GP報酬の設計も複雑になる。IRRベースの評価が適用しにくい長期ファンドでは、GPのパフォーマンスをどう測定するかという問題が残る。

    長期ファンドの延長線上に、ファンド期間そのものを設けない構造がある。エバーグリーン型(またはパーマネントキャピタル)は、Exitによるリターンを再投資に回し、継続的に投資・回収を行う。ファンド満期によるExit圧力がないため、ディープテックの長い時間軸に対して構造的な親和性を持つ。

    ただし、エバーグリーン型には固有のガバナンス課題がある。Exit圧力の不在はGPの規律低下につながりうる。ファンド期間という「締め切り」がないぶん、投資判断の先送りや、成果の出にくいポートフォリオの温存が起こりやすい。LPにとっても、資本の回収時期が読めないため流動性の管理が難しくなる。加えて、パフォーマンス評価の基準が標準化されていないため、他のファンドとの比較が困難である。エバーグリーン型は時間軸の制約を解消するが、それと引き換えに規律と透明性の設計が問われる。

    入れ替える・つなぐ: セカンダリーと事業会社の活用

    時間軸の問題に対するもう一つのアプローチは、ファンド期間を延ばすのではなく、途中で資本の担い手を交代させることである。

    セカンダリー取引——既存投資家の持分を別の投資家に移転する取引——は、ファンド満期前に流動性を確保する手段として機能する。ディープテック投資においては、その意義は通常のVC投資以上に大きい。商用化までの期間が長いため、初期投資家がファンド期間内にExitできないリスクが構造的に高い。また、量産化・規制承認の段階で大規模な追加資金が必要になるが、初期のシードVCにはフォローオンの資金力が不足しがちである。セカンダリーを通じて持分が成長ステージに適した投資家に移れば、資本構成がステージに適合する。

    ここで重要な受け皿となりうるのが事業会社である。前稿で分析したように、事業会社(CVC含む)は特定産業における技術理解、量産・サプライチェーンの知見、規制対応の経験を持つ。これらはディープテック企業がTRL 5〜7の「Valley of Death」を越えるうえで不可欠な資源である。資本提携、戦略的出資、共同開発契約、あるいはオフテイク契約(将来の製品購入の確約)といった形で事業会社が関与することで、ディープテック企業はIPO/M&Aを待たずに成長の基盤を得られる。

    セカンダリーと事業会社の接続が連動すれば、シードVCがセカンダリー取引で持分を売却し、事業会社が戦略的出資を通じて新たな株主となる——という流れが成立する。シードVCは流動性を確保し、事業会社はスケール支援に注力し、スタートアップは途切れのない資本と事業支援を受けることができる。ディープテックの商用化に必要な時間そのものは変わらないが、複数の投資家がリレーのように資本を受け渡すことで、各投資家の時間軸制約と企業の成長段階を整合させる構造になる。

    ただし、この構造には両面で課題がある。ディープテック領域のセカンダリーマーケットは未成熟であり、バリュエーションの不透明性、買い手の限定性、取引コストの高さが残る。事業会社の関与にも、前稿で論じた構造的課題——意思決定の遅さ、戦略変更による支援の途絶、目的の二重性——が伴う。セカンダリーと事業会社の組み合わせは有望な選択肢だが、マーケットの厚みと適切な制度設計が前提になる。

    Venture Creation モデル

    上記とは異なるアプローチとして、投資対象そのものを内製化する構造がある。

    Flagship Pioneering(AUM 140億ドル、最新ファンド36億ドル)は、外部のスタートアップに投資するのではなく、社内で年間80〜100の研究仮説を立ち上げ、有望なものをProtoCo → NewCo → GrowthCoとして育成する。累計100社超を創業し、Moderna社もその一つである。

    Flagshipは従来型のLPファンド構造を使っている。差別化の核心は、社内に研究プラットフォーム(VentureLabs)を持ち、会社創業プロセスそのものを内製化している点にある。これにより、外部スタートアップの時間軸に依存せず、自らコントロール可能なタイムラインで技術を育成できる。前節で論じた専門性の問題も、社内に研究者を抱えることで部分的に解消される。ただし、Flagship固有の人材と研究基盤への依存度が高く、再現性の高いモデルとは言い難い。

    政府の役割: 資金の出し手と、最初の顧客

    ディープテック投資における政府の関与には、性質の異なる2つの経路がある。混同されがちだが、VCの時間軸問題に対する作用メカニズムが異なるため、分けて整理する。

    第一の経路: LP出資(資金供給側)

    民間LPが受容しにくい長期性・高リスク性を、公的資本がLP出資を通じて補完するアプローチである。政府はファンドの運営(GP)には関与せず、資金の出し手(LP)として民間VCに資金を供給する。

    欧州ではEIF(欧州投資基金)がETCIを通じて€200億超のモビライズを目指し、KfW Capital(ドイツ)はDeep Tech Future Fundとして最大€10億を民間と同条件(pari passu)で直接投資する。Bpifranceはフランスのシードファンドの34〜43%を占める触媒的役割を果たしている。日本ではJIC(産業革新投資機構)が49のファンドにLP出資を行い、NEDOがディープテック・スタートアップ支援事業(DTSU、総予算930億円、FY2023-2032)を通じてR&Dフェーズを3段階(STS: 実用化研究開発前期、PCA: 実用化研究開発後期、DMP: 量産化実証)で直接支援している。

    公的資本の意義は量だけでなく、「触媒的資本」としてファーストロスを引き受けることで民間LPのリスク許容度を上げる点にある(Tideline, 2019の推計: $1の触媒的資本で$3〜10の民間資本をモビライズ)。ただし、政治的サイクルとの連動や投資効率の評価の難しさは、公的資本に固有の課題である。

    第二の経路: 公共調達(需要創出側)

    資金供給とは異なるレイヤーで、政府は「最初の顧客(anchor buyer)」として機能しうる。特にエネルギー、防衛、宇宙といったセクターでは、技術が商用市場で受容される前の段階で、公共機関が調達者・実証パートナーとなることが、ディープテック企業の時間軸問題を間接的に緩和する。

    初期市場が未成熟なディープテック企業にとって、公共調達や実証プロジェクトの発注は、売上・技術検証・信用の3つを同時に提供する。米国のSBIR/STTRプログラムやDARPAの調達モデルは、研究開発資金だけでなく実質的な初期需要を創出する機能を果たしている。OECDの分析(2024)が指摘するように、公共調達はR&D助成金よりも大きなイノベーション促進効果を持つ場合がある。

    最初の顧客は、売上だけでなく「技術の正当性」を証明する。LP出資が「VCファンドの時間軸を延ばす」介入であるのに対し、公共調達は「ディープテック企業の商用化を早める」介入である。両者はVCの時間軸問題に対する異なるレイヤーの応答であり、組み合わせることで効果が高まる可能性がある。

    領域特化型の小規模ファンド

    これまで見てきた政府の役割が主として時間軸の制約に作用するのに対し、ここではディープテック投資におけるもう一つの制約——技術評価の専門性——に対する構造を検討する。

    ディープテック投資の専門性はひとつの大型ファンドに集約しにくいが、狭い領域に特化した小規模ファンドであれば成立しうる。BCG(2023)が「Genius Hunters」と分類する500社超のファンド(AUM $1億未満)は、それぞれが1〜2の投資テーマ——分子バイオテクノロジー、プラネタリーヘルス、食料・農業など——に集中し、研究機関との強い結びつきを持つ。個々の投資規模は$100〜500万と小さいが、投資対象への技術的理解は深い。

    この構造が示唆するのは、ディープテック投資のエコシステムは、少数の大型汎用ファンドではなく、多数の特化型ファンドの集合体として発展しうるということだ。個々のファンドが狭い領域で深い専門性を持ち、領域固有のリスクを精密に評価できるなら、その専門性そのものが超過リターン(アルファ)の源泉になる。ソフトウェアVCでは情報やネットワークの優位がアルファを生んできたが、ディープテックでは科学的知見と技術評価力がそれに代わる可能性がある。エコシステム全体としてのディープテック投資の厚みは、ひとつのファンドの規模ではなく、特化型ファンドの多様性と数によって決まるのかもしれない。

    もちろん、小規模特化型ファンドには固有の課題もある。フォローオン投資の資金力が限られるため、成長ステージでは大型ファンドとの連携が不可欠になる。また、ファンドの数が増えてもValley of Death(TRL 4〜7)の資金ギャップが自動的に埋まるわけではない。しかし、バイオテックが専門性の制度化によってVC投資を成立させてきたように、他のディープテック領域でも——まずは小規模な特化型ファンドの集積を通じて——専門性の基盤が形成されつつある。

    このような専門性の分化は、投資判断の精度を高めるだけでなく、技術リスクの見極めを早期化することで、結果として時間軸の不確実性を低減する可能性がある。

    この構造分析から何が言えるか

    ここまでの分析が示す帰結を、ステークホルダー別に整理する。

    VCについて言えること: 標準的な10年ファンドの中に「ディープテック枠」を設けるだけでは構造的不適合は解消しないが、だからといってVCがディープテック投資から排除されるわけではない。BCG(2023)のデータが示すように、リターンの水準自体は従来テックと遜色がない。問題は構造であって、ポテンシャルではない。時間軸の問題への対応は「延ばす」と「入れ替える・つなぐ」に整理でき、長期ファンドやエバーグリーン型だけでなく、セカンダリーと事業会社を組み合わせた資本の入れ替えも選択肢になる。特化型の小規模ファンドが深い技術知見に基づいてシード投資を行い、成長ステージではセカンダリーや事業会社を介して資本と支援の担い手が移行する——こうした多層的なエコシステムが形成されれば、標準モデルを変えずとも、ディープテック投資の厚みは増しうる。BCG(2023)の投資家類型が5つに分かれていること自体が、単一モデルでは対応できない領域に複数のアプローチが並立する現実を映している。

    LPについて言えること: ディープテック投資を支援するLPは、流動性制約の受容が前提になる。ポートフォリオ全体の中で「リターンまで15〜20年」を評価できるLPは限られる。BEVの事例が示すのは、現時点で長期ファンドを支えているのは機関投資家ではなく超富裕層個人であるという事実である。ただし、この制約はLPの構成によって変化しうる。政府系機関や事業会社といった主体は、財務リターン以外の目的——産業政策、技術獲得、サプライチェーン確保など——を持つため、純粋な金融投資家よりも長期の時間軸を取りやすい。こうしたLPが資本の一部を担うことで、ファンド全体としての時間軸制約は緩和されうる。すなわち、LP構成そのものが時間軸の設計要素となる。

    スタートアップについて言えること: 資金調達先のファンドの残存期間は確認に値する。ファンド終了間際のVCからの資金は、フォローオンや支援の途絶リスクを伴う。BCG(2023)のデータが示すように、$10億超の大型ファンドでも平均42%がマルチラウンド投資を行っている。ディープテック企業にとっては、1回の調達よりも投資家との長期的な時間軸の整合が重要になる。加えて、IPO/M&Aだけを最終ゴールとせず、成長過程での事業会社との資本提携やセカンダリーによる株主構成の最適化を視野に入れた資本戦略が求められる。

    政策について言えること: 政府系LPの量的拡大は進んでいるが、より重要なのは触媒的資本としての制度設計が機能するかどうかである。NEDOのDTSUのような3段階設計はValley of Deathへの直接介入として注目に値する。加えて、政府が調達者・実証パートナーとして需要側から市場を創出する機能は、資金供給とは異なるレイヤーでVCの時間軸問題を緩和しうる。

    Conclusion

    ディープテック特化ファンドのIRRは約25%、従来テックは約26%——リターンは同等である。にもかかわらず、VCの標準的なファンド構造は、ディープテック投資が必要とする時間軸と構造的に適合しない。

    10年のファンド期間、IRRベースのGP評価、J-curveのパターン——これらはいずれもLPへの受託者責任に基づく合理的な設計であり、ソフトウェア投資には有効に機能してきた。ディープテックとの不適合は、この合理的な構造の帰結として生じている。時間軸の問題に加え、バイオテック以外の領域ではGPの専門性を蓄積する制度的インフラも未整備である。

    BEVの20年ファンド、Engine Venturesの18年ファンド、Flagship Pioneeringの社内創業モデル、各国政府系LPの触媒的資本と公共調達——代替構造の実験は始まっている。加えて、エバーグリーン型による期間制約の除去、セカンダリーと事業会社を組み合わせた資本の入れ替え——時間軸の問題に対するアプローチは「延ばす」だけでなく「入れ替える・つなぐ」へと多様化しつつある。しかし、これらはいずれも発展途上であり、VCエコシステム全体の標準を変えるには至っていない。

    問題はリターンの水準ではなく、そのリターンに到達するまでの構造にある。ディープテックの難しさは、技術の問題ではなく資本の設計の問題として捉え直す必要がある。それは個別ファンドの工夫ではなく、LP・GP・事業会社・政策・市場インフラを含むエコシステム全体の設計問題である。


    References and Further Reading

    本稿の議論に関連する参考資料を以下に示す。

    ディープテック市場・IRR・時間軸

    VC構造・ファンド期間

    Exit年数データ

    TRL・Valley of Death

    長期ファンド事例

    ディープテック投資の実務・起業戦略

    • 東京大学エッジキャピタルパートナーズ(UTEC)— 『サイエンス・テクノロジー領域の起業戦略』(日本経済新聞出版)
      研究成果の事業化プロセスを投資家・起業家双方の視点から体系化、大学発スタートアップの成長段階、実務的な課題を整理 https://www.amazon.co.jp/dp/4296123866

    政府系LP・触媒的資本

    公共調達とイノベーション

    セクター別タイムライン

    Disclaimer

    本稿の見解はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織の公式見解でもありません。分析は公開情報に基づいています。