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  • 生成AIはモデル単体では差別化にならない——AI企業の本当の堀はどこにあるのか

    生成AIはモデル単体では差別化にならない——AI企業の本当の堀はどこにあるのか

    生成AIはモデル単体では差別化にならない

    はじめに:モデルが横並びになる世界で、価値はどこに残るのか

    新しいAIプロダクトを立ち上げるとき、最初に悩むのは「どのモデルを使うか」かもしれない。GPT系か、Claude系か、それともオープンモデルを自前で動かすか——。だが、この選択の重みは、ここ1〜2年で急速に小さくなっている。少なくとも、モデル単体の性能差だけで長く差別化することは難しくなってきた。

    実際、基盤モデルの性能差は急速に縮まり、推論のコストは大きく下がり、オープンウェイト(モデルの重みが公開され、自前で動かせる)のモデルも商用利用に耐える水準へ達してきた。Stanford HAI の AI Index 2025 や研究機関 Epoch AI の分析も、上位モデル間の性能差の縮小と、同じ仕事をさせるコストの継続的な低下を裏づけている。要するに、どのモデルを選ぶか自体が、もはや差別化になりにくくなっているのだ。

    だとすれば、問いはこう変わる。モデルそのものが横並びに近づく世界で、生成AI企業の価値はどこに残るのか。そして——本稿がより重視するのはこちらだが——その価値のうち、投資家や買い手は何に値段をつけるのか(資本市場は何を「価値」として認識するのか)

    先に見立てを述べておく。生成AI時代の企業価値は、モデルではなく、非公開データ・業務フロー・暗黙知・実装力に宿る。いずれも「業務に深く埋め込まれて、外に持ち出せないもの」である。そして資本がそれを価値として評価できるかどうかは、その埋め込みが「どれだけ深く、どれだけ再現困難か」にかかっている。

    1. モデルは「持ち出せる」、価値の源泉は「持ち出せない」

    モデルは、誰でも同じものを使える。APIを叩けば同じ出力が得られ、オープンモデルならダウンロードもできる。つまりモデルは原理的に「持ち出せる(portable)」資産であり、持ち出せるものはコピーされ、コモディティ化していく。著名アナリストの Benedict Evans も、基盤モデルは持続的な差別化を欠く「コモディティ的な入力」になりつつあり、価値は流通やワークフローへの統合、アプリケーション層へ移ると論じている。

    ここで一つ注意したい。これは「モデル層に価値が一切残らない」という意味ではない。a16z の Martin Casado らは2023年の時点で、生成AIのスタックそのものに自明な防御性はないとしつつ、スケール・流通・ブランドといった伝統的な堀で企業価値は築けると論じていた。論点は「モデルが無価値になる」ことではなく、「差別化の重心がモデルの外側へ移る」ことにある。

    では、その外側とは何か。本稿はそれを一つの概念で束ねたい——業務に埋め込まれて持ち出せない資産(embedded assets)である。非公開データ、業務フロー、暗黙知、実装力。これらは別々の要素に見えるが、共通点は「特定の顧客の業務のなかに深く埋め込まれていて、外から観察できず、移転に時間がかかる」という一点だ。モデルが portable なら、価値の源泉は embedded である。この対比が本稿の軸になる。

    図1: 持ち出せるモデル(portable)と、持ち出せない埋め込み資産(embedded)の対比。モデルはAPIやオープンモデルで誰でも同じものを入手でき、コピーすれば即座に再現され、単体では差別化になりにくい。一方で価値の源泉である非公開データ・業務フロー・暗黙知・実装力は、特定顧客の業務のなかにしか存在せず、外から見えず移転に時間がかかり、深く埋め込むほど堀になる。差がつくのは、モデルではなく業務への埋め込みである

    2. 埋め込み資産はどう積み上がるのか——データ・暗黙知・実装力

    埋め込み資産の中身を、もう少し具体的に見ていく。

    第一に、非公開データと暗黙知。ただし「独自データを持っていれば堀になる」という単純な話ではない。実際、公開された議論には両論がある。一方には「proprietary data こそが唯一持続する優位だ」という見方があり、他方には「基盤モデルは公開データで作られており、データ単独では複製もされ陳腐化もする」という反論がある。どちらも一理ある。重要なのは、データが業務フロー・評価基準・実装人材・顧客内での展開と結びついたときに、はじめて堀になるという点だ。生のデータそのものではなく、「誰がいつ何を正解と判断するか」という暗黙知を、業務の文脈のなかで構造化し、運用に乗せていく工程——そこに価値が宿る。この工程は外から見えず、時間がかかり、模倣が難しい。

    第二に、実装力。ここで近年あらためて注目されているのが、Forward Deployed Engineer(FDE、顧客の現場に深く入り込んで実装する技術者)という役割である。これはデータ解析企業 Palantir が確立・普及させた職種で、エンジニアが顧客の業務現場に深く入り込み、一社のために多くの機能を実装し、定着させる。Palantir 自身の説明でも、汎用プロダクトを多くの顧客へ届ける通常の開発者とは逆に、FDE は一顧客に張り付いて業務に食い込む役割だとされる。

    興味深いのは、生成AIの最前線がこのモデルに回帰していることだ。OpenAI は2026年5月、企業導入を専門に担う「Deployment Company」の設立を公表し(同社の発表によれば、数十億ドル規模の初期資本と、約150名の FDE・導入スペシャリストを擁するという)、Anthropic も Forward Deployed Engineer を公式に募集している。モデルがコモディティ化するほど、それを顧客の業務に「埋め込んで動かす」力が希少になる、という構図である。

    ここに一つの逆説がある。FDE的な実装は、一見すると「スケールしないサービス業」に見える。一社ごとに人を張り付けるのだから、ソフトウェアの高い限界利益とは相容れない。だが a16z が指摘するように、初期にマージンを犠牲にして業務へ深く埋め込むことが、結果として顧客が離れられない関係——強い堀——を生むことがある。スケールしないように見える作業こそが、最も模倣困難な資産になりうる。もっとも、これは現時点で実証された因果ではなく、サービス事業は低マージンでスケールしにくいという従来の反論も併存する、戦略的な仮説として扱うのが正確だろう。

    3. すべての Vertical AI が勝つわけではない

    埋め込み資産が価値を生むのなら、それを最も積み上げやすいのは、特定業界に特化した Vertical AI である。a16z、Bessemer、Menlo Ventures といった著名VCは近年、AI の価値が汎用モデルそのものではなく、特定業界のワークフロー・固有データ・規制要件への深い埋め込みへ移ると論じている。これは「Vertical SaaS は横断型より深い堀を持つ」という旧来の議論の、AI 時代への延長線上にある。

    ただし、ここで楽観に振れてはいけない。同じVCのなかからも、強い反対論が出ている。Foundation Capital や Theory Ventures は、基盤モデルの提供者が API の利用データから成功しているアプリを観測し、自らスタックを上がってアプリ層を飲み込んでくる「飲み込みリスク」を警告する。汎用的な知識労働をなぞるだけの薄いアプリは、モデル提供者の機能拡張に最も飲み込まれやすい。

    重要なのは、これらの論者が「Vertical AI は安全だ」とは言っていないことだ。彼らが描いているのは線引きである。すべての Vertical AI が勝つわけではない。勝ち筋があるのは、判断集約的で、顧客固有のデータが相互作用のなかで蓄積し、業務フローに深く埋め込まれる領域である。ここでいう判断集約的な業務とは、単に作業を自動化するだけでなく、例外処理、承認、責任分界、顧客ごとの判断基準が絡む業務である。逆に、定型的でルールベースの業務や、汎用的な知識をなぞるだけの領域では、固有の学習がほとんど蓄積されず、堀にならない。

    つまり Vertical AI の本質は、「業界を絞ること」自体ではない。「絞った業界のなかで、モデル提供者が再現できない埋め込み資産をどれだけ積めるか」にある。市場規模がどこまで広がるか、どの業界が最初に立ち上がるかは、上場実績の乏しい現時点では検証されていない仮説として扱うべきだが、構造としての勝ち筋の在りかは、かなりはっきりしている。

    4. 売上だけでは測れない——AI企業の価値をどう読むか

    ここからが本稿の芯である。埋め込み資産が価値の所在だとして、では資本市場はそれをどう評価するのか。

    従来のSaaSは、ARR(年間経常収益)とその成長率、そして顧客の定着を測る NRR(Net Revenue Retention=既存顧客から得る収益が前年比でどれだけ維持・拡大したか)を中心に評価されてきた。だが生成AI企業を同じ物差しで測ると、見誤る。

    整理すると、生成AI企業を見るときは、売上がどれだけ伸びているかだけでなく、その売上が剥がれにくいか(定着)、推論の原価を食いつぶさないか(粗利)、そして一社ごとの作り込みが再利用できる形になっているか(製品化)——この三つを合わせて見る必要がある。順に見ていこう。

    第一に、ARRの質、つまり売上が剥がれにくいかどうかが違う。Kyle Poyar の集計(2025年)によれば、ARR が25万ドルを超える企業で、従来型 B2B SaaS の NRR が中央値で80%台前半であるのに対し、AIネイティブ企業では、とくに低単価で実験的に使われている層の顧客の定着(リテンション)がそれを大きく下回る。逆に、単価が高く本格的な業務利用に根ざした層では、定着は従来SaaSに近い水準まで上がる。生成AIは導入が速い分、同じ「AIネイティブ」のなかでも、実験的な支出と本格的な業務利用が混在しやすいということだ。同じ「1億円のARR」でも、業務に深く埋め込まれた剥がれにくい収益なのか、試しに使われているだけの収益なのかで、中身がまるで違う。

    第二に、粗利の構造が違う。これはすでに業界で確立しつつある視点だが、生成AIアプリは推論コスト——LLM の API やコンピュート——が売上原価(COGS)に乗る。生成AI以前から、AI/ML企業は従来SaaSより粗利が低くなりやすいという論点は指摘されていた。a16z は2020年の時点で、AI企業の粗利をおおむね50〜60%程度、従来SaaSを60〜80%超と観察していた。本稿ではこれを「LLM原価後粗利」、すなわち推論原価を引いた後に残る粗利として捉えたい。ARR が同じでも、原価を引いた後に何が残るかは大きく異なる。ただし Bain Capital Ventures が「粗利だけを見るな」と論じるように、推論単価は時間とともに下がり粗利は改善しうるため、ある時点の粗利を過度に重視するのも誤りである。

    この二つを踏まえると、埋め込みの深さを読むための補助線がほしくなる。本稿では、既存の指標に連なる二つの視点を提案したい。

    一つは「顧客内展開率」。これは SaaS で確立した NRR や expansion rate——一顧客のなかで利用がどれだけ広がるか——に連なる考え方を、Enterprise AI 向けに読み替えたものだ。一社のなかで部署を超えて使われ、業務に食い込んでいくほど、その収益は剥がれにくく、埋め込みが深いことの証になる。

    もう一つは「テンプレート再利用率」。こちらは業界標準の指標ではなく、ABF が提案する作業仮説に近い。FDE的な実装は、当初こそ一社ごとの作り込みだが、その実装をどれだけ型(テンプレート)として再利用し、次の顧客へ展開できているか——サービスがプロダクトへ転化できているかを測る目安になる。再利用率が高ければ、低マージンの実装が、将来スケールする資産へ変わりつつあるサインと読める。

    これら三つは、どれも「埋め込み資産が、どれだけ製品化され、深まり、剥がれにくくなっているか」を別々の角度から照らす。資本が生成AI企業を評価するとは、突き詰めればこの埋め込みの深さと再現困難さを読むことにほかならない。

    図2: AI企業の価値を読む評価のレンズ。従来の中心であるARRは売上の大きさと成長を測るが、深さや剥がれにくさは映らない。①LLM原価後粗利は推論原価を引いた後に残る粗利、②顧客内展開率は一顧客のなかでの利用の広がり、③テンプレート再利用率は実装を型として再利用できた度合いを示し、それぞれ収益の質・業務への食い込み・サービスからプロダクトへのスケール性を映す。ARRの大きさより、埋め込みの深さを読む

    5. M&A——評価対象は技術から人材・データ・顧客基盤へ広がる

    埋め込み資産という視点は、M&Aの読み方も変える。

    2024年以降、Microsoft と Inflection、Amazon と Adept、Google と Character.AI のように、大手テックがスタートアップの中核チームを雇用しつつ、技術を非排他的にライセンスする——完全買収ではない「ライセンス+人材獲得」型のディールが、一つの類型として相次いで報じられた(いずれも報道ベース。なお Meta と Scale AI のように、少数出資と一部人材の移籍という、構造の異なる事例もある)。

    M&Aの実務側からも、価値の所在が動いていることがうかがえる。大手法律事務所 Skadden は2026年の解説で、AI企業の買収では価値の中核が「技術そのものよりも、鍵となる人材の確保」にある類型が現れていると指摘する。デューデリジェンスの重点も、モデルのベンチマーク上の性能以上に、学習データの権利と出所がどれだけ追跡可能か、中核ノウハウが少数の人材に集中していないか、そのモデルが実環境で性能を再現できるかへ移っているという。

    ただし、ここでも言い切りは避けたい。Databricks による MosaicML 買収のように、技術やプラットフォーム自体を主目的とする買収も実在する。実際には、技術と人材・実装力は分かちがたく結びついている。正確に言えばこうだ——AI企業のM&Aでは、技術そのものに加えて、データ、顧客基盤、業務知、そして実装済みのワークフローが評価対象になる。買い手が取りに来るのは、モデルそのものではなく、その企業が顧客の業務へ埋め込んできたものの総体である。

    6. 日本の Enterprise AI 企業は、海外の資本にどう見えるか

    最後に、この視点を日本に引きつけてみる。

    日本企業向けに深く入り込む Enterprise AI 企業が価値を作るとすれば、その源泉は日本市場の業務・規制・商習慣に特化したデータと顧客基盤になりやすい。これは前述の議論からすれば、まさに「埋め込み資産」である。だが、その価値は、誰が評価するかによって見え方が大きく変わる。ここに、見落とされがちな一つの逆転がある——同じ「ローカルな深さ」が、海外の投資家には割り引かれ、戦略的な買い手には価値として認識されるのだ。

    海外のVCにとって、日本市場に特化した深さは「読みにくい資産」に映りやすい。グローバルに横展開できるスケール性を重視する投資家から見れば、ローカルに最適化された深さは、市場の天井が低い「ローカルな堀」として割り引かれがちだ。言語と商習慣の壁もあって、その埋め込みがどれだけ深いのかを外から評価すること自体が難しい。

    ところが、同じ資産が、別の評価主体——たとえば事業会社や PE といった戦略的な買い手——には、むしろ高い価値として映ることがある。彼らにとっては、ある業界の業務に深く埋め込まれ、顧客が離れられない関係こそが、自前では作れない買収対象としての魅力になるからだ。同じ埋め込み資産でも、誰が値段をつけるかによって評価が反転する——これは日本の Enterprise AI 企業にとって、見過ごせない非対称である。

    ここに、日本の Enterprise AI 企業にとっての実務的な問いがある。自社の埋め込み資産を、グローバルなスケール性として語るのか、それとも特定領域での再現困難な深さとして語るのか。誰に価値を認識してもらうかによって、語り方も、組むべき資本の選び方も変わってくる。

    おわりに:競争は「最良のモデル」から「資本が認識できる埋め込み」へ

    生成AIの時代に、モデルそのものは差別化の中心ではなくなりつつある。価値は、業務に深く埋め込まれて持ち出せないもの——データ、業務フロー、暗黙知、実装力——へ移っていく。そして勝ち筋があるのは、判断集約的で、顧客固有のデータが蓄積し、業務に深く食い込む領域である。

    だが本稿が強調したいのは、その先だ。埋め込み資産は、ただ存在するだけでは価値にならない。資本市場がそれを価値として認識して、はじめて値段がつく。だからこそ、ARRの質、原価を引いた後の粗利、顧客内での展開、実装の再利用——埋め込みの深さと再現困難さを読むための物差しが要る。問いは「どの Vertical AI が勝つか」ではなく、「どの Vertical AI なら、資本市場で価値として認識されるのか」である。

    そしてこれは、評価する側にも跳ね返る。モデルでは測れない資産を読むには、投資家や買い手の側にも、業務への深い理解が要る——以前に本ブログで論じた「AIネイティブVC」の問いとも、ここでつながる。AIが価値の所在を「モデルの外側」へ動かすほど、それを正しく評価できる力そのものが、次の競争の焦点になる。

    References

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    はじめに:VCは平均で語れない

    「AIがVCを変える」という議論は多い。だが、その多くは「どの業務がAIに置き換わるか」という問いに留まっている。ソーシングが速くなる、デューデリジェンス(DD)が効率化する、投資メモが自動で書ける——たしかにそうだろう。

    しかし、この問いの立て方は、VCという産業の本質を一つ見落としている。VCは、平均では語れない産業だ。リターンの大半は、ごく一部の投資先、ごく一部のファンド、ごく一部のヴィンテージ(投資年次)から生まれる。中央値のVCファンドの成績を見ても、この産業で何が起きているかはほとんど分からない。少数の極端な勝者がすべてを決める——いわゆるパワーローの構造である。

    だとすれば、AI×VCで本当に問うべきは「どの業務がAI化されるか」ではない。AIは、この極端なパワーロー構造を緩めるのか、それとも強めるのか。これが本稿の問いである。

    先に方向性だけ述べておく。本稿の見立てはこうだ——AIはVCの「作業」を民主化するが、「リターン」を民主化するとは限らない。情報処理のコストが下がるほど、最後に差をつけるのは情報処理そのものではなくなる。アクセス、創業者から選ばれる力、独自データの蓄積、LPから資本を預かる信用——こうしたより希少なものに価値が移り、結果としてパワーローは弱まるどころか、むしろ強まりうる。これは確定した未来ではなく、構造から導かれる一つの仮説である。

    1. パワーローは3つのレベルで働いている

    VCのパワーローは単一の現象ではない。少なくとも3つのレベルで、それぞれ別のデータが同じ構造を示している。

    第一に、投資先(企業)のレベル。少数のホームラン企業がファンド全体のリターンを決める。Commonfund(CF Private Equity)は、35年分のVC投資データベースを分析し、各ヴィンテージの投資期間で平均して上位15の投資先企業が総価値の約38%を生み出し、その15社は投資元本ベースでは全体の1〜2%未満に過ぎなかったと整理している。価値の3分の1強が、コストの1〜2%から生まれる。ここで言う「上位15」はファンドや運用会社ではなく、あくまで個別の投資先企業である点に注意したい。

    同じ方向の観察は AngelList の分析にもある。シード/アーリーステージのリターンは極端に裾の重いパワーロー分布を示し、シミュレーション上は、市場全体に広く分散する(インデックス的な)投資戦略が、おおよそ4分の3のアーリーステージVCマネージャーを上回りうるという。言い換えれば、市場平均を超えるにはトップクオータイル(上位25%)に入る必要がある。ただしこれはシード段階に限定された、シミュレーションを含む結果であり、後期ステージでは同じ優位は成立しない点は補足しておく。したがって、AIが投資先レベルのパワーローを変えるには、単に多くの会社を見つけるだけでなく、この上位数社に早く、深く、かつ実際に投資できる必要がある。

    第二に、ファンドのレベル。投資先だけでなく、ファンドどうしの間にもパワーローがある。Carta が2025年末時点で集計した2019年ヴィンテージのVCファンドの成績(TVPI)を見ると、分布ははっきりと右に裾を引いている——90パーセンタイルが3.01倍、75パーセンタイルが1.9倍、中央値が1.33倍、25パーセンタイルが1.02倍。注目すべきは、上位25%から上位10%へ駆け上がる際の伸び(1.9→3.01倍)が、中央値から上位25%への伸び(1.33→1.9倍)よりはるかに大きいことだ。差は上に行くほど開く。なお TVPI は未実現の評価額を含む倍率であり、実際に分配された確定リターン(DPI)とは異なる。Carta 上で追跡されるファンド群に基づく数字である点も併せて踏まえたい。AIがファンドレベルの格差を縮めるには、中央値ファンドの作業効率を上げるだけでは足りず、トップデシル(上位10%)に入る確率そのものを変えなければならない。

    第三に、ヴィンテージのレベル。いつ投資したか——その年次そのものにもリターンは偏る。StepStone は2000〜2022年の1,000本超のVCファンドを分析し、リターンの80%が、計23のヴィンテージのうちわずか5〜7(全体の約22〜30%)から生まれていたと報告している。これは個別ファンドの優劣とは別の軸で、「良い時期に資本が入っていたか」がリターンを大きく左右することを示す。なお、ここでの「リターン」は一般的なIRRやTVPIそのものではなく、各ヴィンテージの寄与度を全体に対して測った独自指標に基づく。AIがヴィンテージの偏りを乗り越えるには、市場が冷えた年次にも勝てる案件を選び抜く——タイミングの不利を銘柄選択で覆す——力が要る。

    投資先、ファンド、ヴィンテージ。レベルは違っても、現れているのは同じ一つの構造だ——少数が大半を生む。VCのAI化を考えるとは、この3層構造に対してAIが何をするのかを考えることに他ならない。

    図1: VCのパワーローは投資先・ファンド・ヴィンテージの3つのレベルで働く。投資先レベルでは上位15社が総価値の約38%(投資元本では全体の1〜2%未満、Commonfund)、ファンドレベルでは2019年ヴィンテージのTVPIが中央値1.33倍に対し上位10%は3.01倍と上に行くほど差が開き(Carta)、ヴィンテージレベルではリターンの80%が23年のうちわずか5〜7年から生まれる(StepStone)。レベルは違っても「少数が大半を生む」という同じ構造が現れる

    2. AIが民主化するもの——「作業」

    まず、AIが明確に効く領域を確認しておく。VCの業務をファンド組成からExitまで分解すると、その多くは定量的・構造化されたデータを扱う「作業」である。

    ソーシングにおける候補企業の網羅的な発掘とスクリーニング。DDの初期段階での市場規模の推計、競合マッピング、財務指標の整理。投資メモの草稿作成。LP向けレポートの作成。投資先KPIのモニタリング。これらはいずれも、情報を収集し、整理し、要約する作業であり、まさにLLM(大規模言語モデル)が得意とする領域だ。

    ここで起きているのは、明確な民主化である。かつては相応のアナリストチームを抱えなければできなかった市場調査や競合分析、投資メモ作成、LP資料の整備を、小規模なVCでも一定の品質でこなせるようになる。情報処理のコストが下がり、参入のハードルが下がる。「作業」の水準で見れば、AIはVCをよりフラットにする。

    だが、ここで立ち止まる必要がある。VCのリターンを決めているのは、作業の質だろうか。

    3. AIが民主化しないもの——「リターンの源泉」

    VCのリターンを決めるのは、良い分析だけではない。分析は必要条件だが、十分条件ではない。最後にリターンを分けるのは、極端な外れ値(ホームラン企業)にアクセスでき、そこに投資でき、保有し続けられるかである。そして、ここに関わる能力の多くは、AIで民主化されにくい。

    決定的なのは、「見つけること」と「投資できること」は違うという点だ。AIによってソーシングが改善し、見落とされていた有望企業を早く発見できるようになる。だが、本当に良い会社ほど、AIで発見可能なシグナルが出た瞬間に、他のVCからも発見されやすくなる。情報が行き渡れば、それはもはや差別化要因ではない。残るのは、創業者との関係、ブランド、意思決定の速さ、提示できる条件、そして投資後の支援能力——こうした、情報処理の外側にある要素だ。

    具体的には、トップ創業者へのアクセス、人気ラウンドで投資枠を確保する力、創業者から「この投資家に入ってほしい」と選ばれる信頼、次のラウンドを牽引できるフォローオン能力、次ラウンド投資家や買い手・上場市場への接続、そしてLPから長期の資本を預かり続ける信用。これらはAIで一夜にして獲得できるものではない。

    「独自データを持てば防波堤になるのではないか」という反論はある。EQT は2016年から自社のAI/データ組織「Motherbrain」を運営し、独自データ基盤とエンジニアリング人材を抱えて投資ライフサイクル全体にAIを活用していることを公表している。SignalFire も、約10年かけて構築したプラットフォーム「Beacon」で8,000万社を超える企業を追跡し、市場に出る前の段階でスタートアップや創業者を発掘していると説明する。こうした独自データ基盤は、たしかに一つの優位の源泉だ。重要なのはデータの量そのものよりも、ソーシングから投資、成果、モデル改善へと回るフィードバックループであり、投資後の結果データは各ファンド固有で、外部から再現できない。

    ただし、この防波堤には限界もある。VCの難しさは、候補企業データの数が少ないことではない。むしろ候補データは大量に集められる。問題は、「どの判断が正しかったのか」という正解ラベルが数年から十数年遅れて現れ、しかも真のアウトカム(ファンドを返すほどのリターンを生んだ事例)が極端に少ないことにある。この本質的なSmall-N(少数事例)の問題ゆえに、最終的な投資判断そのものについて統計的に意味のあるモデルを訓練するのは難しい。独自データが効くのは、大量の候補を絞り込むソーシングやモニタリングの局面であって、最終的な投資判断そのものではない。そして判断に近づくほど、問題はデータの量ではなく、データの解釈と文脈理解に移っていく。

    つまり、AIと独自データが優位をもたらすのは、主に「大規模ファンドどうしが同じ土俵で競う」場面である。そこでは、汎用LLMを使えること自体は急速にコモディティ化し、独自基盤とエンジニアリング組織を持つ側が差を広げやすい。

    図2: AIが民主化する「作業」と、民主化しない「リターンの源泉」の対比。ソーシング・デューデリ・投資メモ/LP報告・投資後の支援・データ基盤の各局面で、情報処理(作業)はAIで民主化されるが、トップ企業へのアクセスや投資枠、創業者を見抜く判断、LPから長期資本を託される信用、次ラウンドや買い手・市場への接続といったリターンの源泉は民主化されにくい。情報処理は民主化され、アクセスと信用はむしろ希少化する

    4. 中位は底上げされ、上位に再集中する——民主化のねじれ

    では、AIは中位・下位のVCを底上げするのか、それとも上位VCをさらに引き離すのか。両方のシナリオがありうる。

    民主化シナリオでは、小規模VCが大手並みのリサーチ力を持ち、セクター特化型VCが専門データで勝ち、新興VCがニッチ領域の外れ値を見つけやすくなる。AIは下位の底上げ装置として働く。

    再集中シナリオでは、トップVCが独自データとブランドをAIでさらに強化し、良い案件は全員に見つかるためアクセス競争が激化し、LPはAIを使ってGP(運用者)の選別を高度化させ、資金がより明確に勝てる上位GPへ集中する。

    足元の兆候:資金調達市場ですでに進む再集中

    そして、この再集中は、AIを持ち出すまでもなく足元ですでに進んでいる。2026年に入り、上位GPはかつてない規模の資金をLPから集めている。アンドリーセン・ホロウィッツ(a16z)は1月に複数戦略のファンド群で計約150億ドル、Thrive Capital は2月に約100億ドル、Founders Fund は5月に自社最大のグロースファンドで約60億ドルと、上位GPが相次いで巨額の資金を調達した。重要なのは、これがVC全体の資金が膨らむ中での出来事ではないことだ。むしろ逆で、2025年の米VCのファンドレイズ総額は2018年以来の低水準に落ち込み、組成本数はピークだった2021年の3割程度にまで減っている。その縮小する資金プールの中で、2025年前半にはわずか上位12社が調達額の半分超を占めた。お金は細りながら、一部のトップGPに吸い寄せられている。

    ただし、この集中をAIの産物と見るのは早計だ。直接の引き金は、出口(Exit)の停滞でLPへの資金還流が細り、LPがより確実なトップGPに資金を絞り込んでいることにある。AIがこの流れを生んだわけではない。だが、AIはこの流れを増幅しうる。ここに、この記事で最も興味深いねじれがある。AIが「作業」を民主化することで、中位VCの見た目は底上げされる。投資メモもLP向けレポートも、上位と遜色のない水準になる。だが、皆の作業水準が揃うと、LPの側からは逆に差別化が見えにくくなる。表面的な能力で差がつかなくなれば、LPはより確かなもの——過去の実績、トップディールへのアクセス、ブランド、独自データ基盤——を頼りに資本を配分する。底上げされた「それっぽい」中位VCではなく、明確に勝ってきた上位VCへ。民主化が、かえって資金の再集中を促しうるのだ。

    念のため強調しておくと、これは確定した予測ではない。AI×VCの結果が出揃ったデータはまだ存在せず、ここで述べているのは構造から導かれる仮説である。だが、情報格差が縮むほど残る差別化要因がより希少なものに移る、という論理は、パワーローが弱まるよりも強まる方向を示唆している。

    5. 日本のVCへの含意

    この構造は、日本のVCにとって何を意味するか。

    まず確認すべきは、汎用AIで投資メモや市場調査が速くなること自体は、決定的な競争優位ではないということだ。それは遠からず誰もが手にする。日本のVCにとって本当に問われるのは、もっと別の問いである——日本にいながら、どのパワーローにアクセスできるのか

    具体的には、いくつかの接続が鍵になる。グローバルなAI領域の勝者にアクセスできるのか。日本発のディープテックやAIの外れ値を早く見つけられるのか。政府・大学・大企業・海外VCをつなぎ、公開市場に出る前の機会に入れるのか。そして、日本企業を買い手や顧客として動員し、投資先の成長そのものを加速できるのか。

    これらは、本ブログがこれまで扱ってきた論点と地続きである。Exit構造の問題、M&Aにおける買い手能力、政府系VCがどの段階で効くか、海外資本とのギャップ——いずれも「日本のスタートアップに、誰が・どこで・どう資本と機会を届けるか」という同じ問いの別の面だ。AIはこの構造を自動的に解決しない。むしろ、すでに希少なアクセスと信用を持つプレイヤーの優位を、より見えやすくする可能性がある。

    おわりに

    VCのAI化は、しばしば「業務の自動化」として語られる。だが、自動化が進むのは、もともとリターンを決めていなかった「作業」の部分かもしれない。

    AIはVCの作業を民主化する。それは間違いない。問題は、リターンの源泉——外れ値へのアクセス、創業者から選ばれる信頼、長期資本を預かる信用——が、その民主化の外側にあることだ。情報処理が安くなった世界で最後に残る差は、情報そのものではなく、誰がどの機会に入れるか、誰が誰から選ばれるかという、より希少で、より積み上げに時間のかかるものになる。

    だとすれば、AIはVCをフラットにするのではなく、勝てるVCと勝てないVCの差を、より見えやすくするのかもしれない。そして次に問われるのは、AIネイティブVCをどう定義するか、である。それは投資メモを速く書くVCではない。AIによって情報処理を標準化したうえで、人間にしか積み上げにくいアクセス、信用、仮説、そして資本の接続をどこで作るかを再設計するVCである。本稿が示せたのはここまでで、その先の検証は今後の課題である。

    References

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  • VC業務のどこがAIに置き換わり、どこが残るか

    VC業務のどこがAIに置き換わり、どこが残るか

    VC業務のどこがAIに置き換わり、どこが残るか

    Introduction

    「AIがVCを変える」という議論は多い。しかし、具体的にVC業務のどの部分がどう変わるのかについては、構造的な整理がほとんどない。

    VC業務は単一の活動ではない。ファンド組成からExitまで、情報構造が大きく異なる複数のフェーズで構成されている。定量データが豊富で自動化の効果が明確なフェーズもあれば、対人判断や暗黙知が中心で構造化になじまないフェーズもある。AIによる変化はこのフェーズごとに非対称であり、全てが等しく変わるわけではない。

    本稿では、VC業務の7フェーズを情報構造の観点から分類し、3つの問いに答える。(1) AIは現時点でどこまで実用的に使われているか、(2) 構造的にAIに置き換わりにくい領域はどこか、なぜか、(3) 5年後に何が変わりうるか。

    VC業務フェーズの全体像

    VC業務は以下の7つのフェーズで構成される。

    1. ファンド組成: 投資戦略の策定、チーム構築
    2. LP募集 / IR: 資金調達、投資家対応
    3. ソーシング: 投資候補の発掘・スクリーニング
    4. デューデリジェンス: 投資候補の精査・分析
    5. 投資委員会(IC): 投資判断の最終意思決定
    6. バリューアップ: 投資先の成長支援
    7. Exit: IPO・M&A等による投資回収

    これらのフェーズは、情報構造の観点から2つの軸で整理できる。

    第一の軸は、情報の性質である。ソーシングやDDの初期段階では、市場データ・競合情報・財務指標など定量的・構造化されたデータが中心になる。一方、ICや創業者評価では、対面でしか得られない定性的・非構造化の情報が判断を左右する。

    第二の軸は、情報の使われ方である。同じDDでも、市場規模の推計や競合マッピングは「情報収集」であり、その情報をもとに投資するかどうかを決めるのは「判断」である。AIが得意なのは前者であり、後者には構造的な制約がある。

    この2軸の組み合わせが、各フェーズにおけるAI活用の可否を決定する。

    フェーズ 情報の性質 情報の使われ方 AI活用度(現状)
    ファンド組成 定性・関係性中心 判断
    LP募集 / IR 混合 収集+判断
    ソーシング 定量・構造化 収集
    DD 混合 収集→判断 中-高(収集)/ 低(判断)
    IC 定性・暗黙知 判断
    バリューアップ 混合 収集+判断
    Exit 複合 判断 低-中
    VC業務フェーズ別のAI活用度マッピング

    この表が示すパターンは明確である。情報が定量的・構造化されており、かつ「収集」が中心のフェーズではAI活用が進み、情報が定性的で「判断」が中心のフェーズでは進んでいない。

    AI活用が進んでいるフェーズ

    ソーシング——網羅性と速度の問題

    ソーシングの本質は、膨大な企業群のなかから投資候補を効率的に絞り込むことにある。企業データベース、特許情報、採用動向、Webトラフィック、SNSシグナル——いずれも構造化可能な外部データであり、スクリーニングとスコアリングにおけるAIの優位性は明白である。

    EQTが2016年から開発しているMotherbrainは、数千万社規模の企業データを分析し、報道によればEQTの投資の相当割合がこのプラットフォーム起因とされる。SignalFireはチームの約20%をデータサイエンティストやエンジニアが占め、8,000万社以上・6億人以上のデータを追跡するBeaconプラットフォームを運用している。

    ただし、これはソーシングの全てがAIに移行することを意味しない。Gompers et al.(2020)が885名のVCを対象に行った調査では、トップパフォーマーほどネットワーク経由のディールソーシング比率が高い傾向が示されている。AIが網羅性と速度を補完する一方、「まだデータに現れていない」初期ステージの案件はネットワーク経由で発掘されるという構造は変わっていない。AIソーシングとネットワークソーシングは代替ではなく共存の関係にある。

    デューデリジェンス——「収集」と「判断」の分離

    DDでは、市場規模の推計、競合マッピング、財務分析、契約書レビューといった情報収集タスクのAI化が進んでいる。通常のDDサイクルが数週間から数ヶ月を要するなかで、情報収集フェーズの速度は大幅に向上している。

    ただし、Correlation Venturesのように統計モデルを用いて共同投資判断まで行う例も存在する。同社はディール属性を大規模な歴史データベースと照合し、約2週間で投資判断を下す。もっともこれはリード投資家の判断を前提とした補完的な枠組みであり、意思決定の完全な自動化とは性質を異にする。このような試みは存在するものの、現時点では例外的であり、投資判断の中核がモデルに置き換わった事例は限定的である。

    DDにおける「判断」——創業者の動機や誠実さの評価、技術の実現可能性の見極め、「なぜ今この市場なのか」というタイミング判断——は情報収集とは質的に異なる。特にシード〜Series Aでは定量データが乏しく、定性判断の比重が大きい。DDのAI化は「情報を集める速度」を変えるが、「情報を解釈する判断」には手が届いていない。

    ポートフォリオモニタリング——構造化データの自動処理

    KPIの自動集計、異常値検知、レポート生成は、構造化データの処理そのものであり、AIとの親和性が高い。大規模ファンドはこの領域でプラットフォーム化を進めている。a16zは100名以上(ピーク時は150名規模とも言われる)の非投資プロフェッショナルを擁し、ポートフォリオ企業に対する採用・マーケティング・技術支援を組織的に提供した。Insight Partnersは約100人のOnsiteチームで、SaaS企業のGTM・プライシング・プロダクト戦略を支援している。

    これらに共通するパターンがある。情報が構造化されていること、情報収集と判断が分離可能なこと、自動化の効果が明確で測定可能なことである。逆に言えば、この3条件を満たさないフェーズでは、AI活用は構造的に進みにくい。

    大規模ファンド vs 小規模ファンドの格差構造

    AI活用の進展は、VC業界内の格差を拡大させる構造を持つ。

    大規模・レイターステージのファンドは、データ量とエンジニアリングリソースの両面で優位にある。EQT Motherbrainの専任チーム20〜30人、SignalFireのデータ・エンジニアリングチームへの組織的投資は、いずれもファンドサイズに裏付けられた体制である。独自データ基盤の構築は、ファンドサイズが一定以上でなければ経済的に成立しない。

    一方、小規模・アーリーステージのVCにとっての主戦場は、ChatGPTやClaudeなどの汎用LLMツールによる生産性向上である。DD資料の作成、市場調査のたたき台、LP向けレポートの下書き——個々のタスクは加速するが、独自データ基盤との差は埋まらない。

    より急進的なアプローチを取るのが、サンフランシスコのDavidovs Venture Collective(DVC)である。2020年設立の同社は、アナリストを全員解雇し、AIエージェントと170人以上のLP(OpenAI、Google、Meta等のエンジニアや創業者)のネットワークで代替するモデルを採った。AIがディールメモ作成やDD情報収集を自動化し、LPネットワークが案件発掘やポートフォリオ支援を担う。シードファンドで120社以上(Perplexity AI、AIチップのEtched等)に投資した実績をもとに、2025年にSeries A/B向けの7,500万ドルファンドを組成した。注目すべきは、DVCが「アナリストをAIだけで置き換えた」のではなく、アナリストの機能をAI(情報収集・処理)とLPコミュニティ(案件の目利き・創業者支援)に分解した点にある。従来のVC組織が内部に抱えていた機能を、テクノロジーとネットワークに外部化した実験と言える。ただし、新ファンドの投資実績はまだ初期段階にあり、このモデルが長期的にリターンを生むかは未検証である。

    例外はセクター特化型VCである。特定領域のドメイン知識は構造化が比較的容易であり、中規模ファンドでも効果的なAI活用が可能になりうる。ただし、現時点でこれを実証した公開事例は限られている。

    地域間の格差も顕在化しつつある。欧米ではEQTやSignalFireが具体的な成果データを公開し始めているが、日本のVC業界ではAI活用の具体的な公開事例がほぼ存在しない。汎用LLMツールの業務活用は進んでいるとみられるが、独自データ基盤の構築を公表した日本のVCは現時点で確認できない。この非対称は、ファンド規模の格差だけでなく、AI活用を競争優位として公に打ち出す文化の違いも反映している。

    「判断は人間」という前提はどこまで有効か

    従来の前提とその揺らぎ

    Gompers et al.(2020)の調査で投資判断の第1位に挙がったのは「経営チーム」であり、VCは自身の判断プロセスを「パターン認識」に近いと表現した。従来、この暗黙知は「人間にしかできない」領域として位置づけられてきた。

    しかし、この前提は2つの方向から揺らいでいる。

    第一に、人間の定性判断はバイアスから自由ではない。Kahneman(2011)が示したように、人間の直感的判断には確証バイアス、アンカリング、類似性への偏りが構造的に組み込まれている。VCの文脈では、自分と似た経歴の創業者を過大評価する、過去に成功したパターンに固執する、初期の印象に判断が引きずられるといった傾向が指摘されている。「人間の定性判断が優れている」という前提自体が、検証を要する仮説である。

    第二に、AI——特に大規模言語モデル(LLM)やVision-Language Model(VLM)——の能力が、従来「構造化できない」とされた領域に急速に拡張している。ピッチ映像から創業者のコミュニケーションの質や一貫性を分析する、膨大な市場文脈を踏まえて「なぜ今この市場か」を評価する、数千件の過去投資案件との類似性をバイアスなく比較する——これらはトランスフォーマー以前には非現実的だったが、長いコンテキストウィンドウとマルチモーダル処理の組み合わせにより、技術的には射程に入りつつある。

    つまり、「定性判断は人間が得意」という通念は、「人間の判断にもバイアスがある」「AIが文脈を扱えるようになった」という二重の意味で再検討を迫られている。

    それでも人間に残るもの

    では、AIが定性的な判断まで担えるとすれば、VCにおいて何が人間に残るのか。2つある。

    第一は、関係性の起点である。「この人と会って話してみたい」「この創業者と一緒に仕事をしたい」という意思は、分析ではなくコミットメントの表明である。VCと創業者の関係は一方的な評価ではなく双方向の選択であり、その起点となる人間同士の接触はAIに代替できない。ネットワークの価値は「情報の網羅性」ではなく「関係性を起動する力」にある。

    第二は、決めと責任である。選択肢が整理され、分析が完了した後に「これにする」と決断し、その結果に対して責任を負うこと——これは情報処理ではなく、意思と責任の問題である。VCのGPはLPに対して受託者責任(fiduciary duty)を負っており、「AIが推奨した」は責任の所在として成立しない。

    自動運転の議論と構造が似ている。かつて「人間がいないことがリスク」だった運転は、技術の進展により「人間が介在することが最大のリスク」になりつつある。VC業務においても、情報収集だけでなく判断の領域で同様の転換が起きる可能性がある。その場合、人間の役割は「判断すること」から「関係性を起動し、責任を引き受けること」へと変わる。

    5年後の仮説

    VC業務におけるAI活用の時間軸

    現状の延長線上で確度の高い変化と、不確実な変化を区別する必要がある。

    変わること(高確度)。情報収集の自動化はさらに進み、DDの初期フェーズにおける市場分析・競合マッピングの速度と精度は向上する。ポートフォリオモニタリングはリアルタイム化に近づく。汎用LLMの進化により、小規模VCでもレポーティングや初期スクリーニングの効率は上がる。これに加え、LLM/VLMの文脈処理能力の向上により、創業者評価や市場タイミングの判断といった従来「人間の領域」とされた定性判断にもAIが関与する場面は増える。人間のバイアスを補正する道具として、AIが判断プロセスに組み込まれるのは時間の問題だろう。

    変わらないこと(高確度)。創業者との信頼関係の起動、LPとの長期的なパートナーシップの構築——関係性の起点となる人間同士の接触は残る。投資委員会でのGo/No-Go判断やExit決定において、最終的に「これにする」と決断し責任を引き受ける役割も、受託者責任の構造が変わらない限り人間に残る。

    不確実なこと。AIの判断精度が人間を上回る領域がどこまで広がるかは未知数である。仮にAIがバイアスのないチーム評価や市場タイミング判断で人間を凌駕するデータが蓄積されれば、「人間が判断に介在すること自体がリスク」という転換が起きうる。その場合、VCの人間としての価値は「判断の質」ではなく「関係性の起動力」と「意思決定の責任」に収斂する。LPがGPを評価する際に、AI活用度をどの程度重視するかも、現時点では枠組みすら確立されていない。

    Implications

    VCに対して。AIが情報収集だけでなく判断の領域にも浸透するならば、VCの差別化の源泉は「判断の質」から「関係性と責任」にシフトする。創業者が「この人と一緒にやりたい」と思う存在であること、困難な局面で責任を引き受ける覚悟があること——これらはAIでは代替できない。逆に、AIを使わずに判断の精度やスピードで劣後すること自体がリスクになる時代が近づいている。

    LPに対して。GPの評価において、AI活用は「ツールを導入しているか」ではなく、「判断プロセスにおいて人間のバイアスをどう制御しているか」という問いに変わりうる。AIを活用しないGPが、バイアスまみれの判断で投資しているリスクを、LPはいずれ意識するようになるだろう。

    スタートアップに対して。ソーシングのAI化は、「データに現れやすい」企業が早期に発見される一方、「データに現れにくい」初期ステージの企業にとってはVCとの直接的な人間関係がより重要になることを意味する。

    Conclusion

    AIがVC業務において代替するのは、情報収集だけではない。定性判断の領域にもAIの関与は広がりつつあり、「判断は人間の領域」という前提自体が再検討を迫られている。

    人間に残るのは、関係性の起点——「この人と一緒にやりたい」という意思——と、責任の引き受け——「これにする」という決断とその帰結を負うこと——の2つである。自動運転と同じく、VC業務においても「人間が介在しないことがリスク」から「人間が介在することがリスク」への転換が起きうる。

    VC業務におけるAI活用を考える際に必要なのは、「AIがどこまで来たか」ではなく、「人間が不可欠な領域は本当にどこか」を問い直すことである。



    References and Further Reading

    VC意思決定研究

    AI活用VC事例

    • EQT Motherbrain — EQTの独自ML基盤ソーシングプラットフォーム。2016年開発開始、数千万社規模のデータを分析。Henrik Landgrenインタビュー(VentureBeat)
    • SignalFire Beacon — データドリブンVCの独自データプラットフォーム。8,000万社以上・6億人以上を追跡。チームの約20%がデータサイエンティスト/エンジニア
    • Correlation Ventures — 統計モデルによる共同投資判断、約2週間の意思決定ターンアラウンド
    • Davidovs Venture Collective(DVC) — アナリストをAIエージェント+170人超のLPネットワークで代替。シード120社超投資後、$75M Series A/Bファンドを組成(FoundersToday, 2025

    VCプラットフォームモデル

    • Andreessen Horowitz — プラットフォーム型VCの先駆。100名以上(ピーク時は150名規模とも言われる)の非投資プロフェッショナルを擁したが、近年はプラットフォーム組織のスリム化も報じられている
    • Insight Partners Onsite — 約100人のオペレーション支援チーム。GTM、プライシング、プロダクト戦略(Insight Partners公式資料)

    学術研究・書籍


    Disclaimer: 本稿における見解はすべて筆者個人のものであり、所属先を含むいかなる組織の公式見解でもありません。分析は公開情報のみに基づいています。