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  • 日本の買い手は、本当に薄いのか——海外VCが押し上げる「第4の買い手層」

    日本の買い手は、本当に薄いのか——海外VCが押し上げる「第4の買い手層」

    日本の買い手は、本当に薄いのか——海外VCが押し上げる「第4の買い手層」

    はじめに:買い手は、本当に薄いのか

    日本のスタートアップM&Aについて、以前に「問題は件数ではなく買い手能力である」という整理を書いた。赤字の成長企業を継続的に買い、事業に組み込んでいく組織能力が、事業会社・PE・海外の戦略買い手のいずれの層でも薄い——という診断だった。

    この見立て自体は、いまも変えていない。ただ、あの3つの層には共通点がある。どれも「既にある大きな組織」だ、ということだ。買い手を探すとき、私たちは無意識に、スタートアップより上の階層を見上げている。

    では、買い手はそこにしかいないのだろうか。

    先に断っておくと、これから紹介するデータは、買い手が薄いという診断そのものを覆すものではない。ただ、これまで数に入れていなかった買い手がいる。

    本稿は、筆者がSSRNに公開した研究 Same Capital, Different Absorption: Foreign Venture Capital and Startup Acquisition Channels in Japan and Singapore(2026年6月)の紹介である。この研究が扱ったのは、これまでほとんど正面から測られてこなかった問いだ——VCから資金を受けたスタートアップ自身が、買う側に回るのか。そしてその買収は、どこへ向かうのか。

    結論を一行で言えば、こうなる。海外VCは、日本のスタートアップを海外へ連れ出すだけではない。日本企業を買える会社に育てている可能性がある。

    日本とシンガポールの10,051社(日本6,277社、シンガポール3,774社)を、2010年から2024年まで追った。データはPitchBookで、上場企業の分社や海外からの移転などを外すための厳格な絞り込みをかけている。

    1. 見落とされていた「第4の層」

    まず、事実から置きたい。

    日本のVC投資先スタートアップのうち、観測期間中に一度でも買収する側に回った企業は6.6%(413社)ある。100社に7社弱、と言い換えてもいい。決して主流ではないが、例外的な逸話でもない規模だ。

    そして、この比率は一様ではない。海外VCが入っていない企業では5.85%、入っている企業では13.39%——倍以上の開きがある。シンガポールでも方向は同じで、5.35%に対して8.07%だった。

    つまり、日本の買い手層を数えるとき、事業会社・PE・海外戦略買い手の3層に加えて、スタートアップ自身という第4の層が存在している。しかもその層は、海外資本が入っている企業ほど厚い。

    ここで、この第4の層がどこを買っているかを見ると、話が面白くなる。日本のスタートアップが買収した相手の所在地は、国内が81%。米国が8%、ASEANが3%、その他が8%である。最初の一件に限って国内か海外かで分けても、日本は88%が国内向けだった。

    海外の資本を受け入れた企業ほど買収する側に回り、その買収先は圧倒的に国内である。この形は、少し立ち止まって考える価値がある。

    2. 両国で同じように起きること

    順を追って分けて考えたい。海外VCが入ったときに起きることには、日本とシンガポールに共通して起きる部分と、国によって違う部分がある。

    まず、共通して起きる部分。海外VCが参加したラウンドは、調達額が大きい。日本で約+99%、シンガポールで約+106%——おおむね倍増である。これは両国で同じように観測された。

    そして、買収する側に回る確率も上がる。両国をまとめ、業種構成の違いを調整したうえで推定すると、+7.19ポイント(パーセントポイント=比率そのものの差。6%が13%になれば+7ポイント)。もとの比率が約6%なので、およそ倍になる計算だ。

    ここまでは、直感どおりと言っていい。資本が増えれば買う体力もつく——企業金融の研究が繰り返し確認してきた関係である。

    問題は、その先だ。増えた資本は、どこへ向かうのか。

    3. 同じ企業の中で、国内と海外は別の理屈で動いている

    ここが、この研究でいちばん意外だった部分だ。先に結論を書く。

    海外買収が増える理由は、ほぼ「お金が増えたから」で説明できた。一方、国内買収は、お金が増えたことだけでは説明できなかった。

    順に見ていく。

    「海外VCを入れると、会社が海外に出ていく」——という見方は、日本ではよく聞く。海外資本が入れば、視線は海外に向き、買収も海外案件になり、いずれ会社ごと海外に持っていかれるのではないか、と。

    データを見ると、たしかに日本企業の越境買収も増えてはいる。海外VCが入った日本企業は、越境買収をする確率が+1.73ポイント高い。ここまでは直感と合う。

    ここで、ひとつ確かめたいことが出てくる。「海外VCが入った企業は、単に調達額が大きいから買収しているだけではないか」という可能性だ。資本が潤沢なら、買収相手が国内だろうと海外だろうと、買う件数そのものが増えて当然である。そこで、買収前までに調達した資本の量の違いを統計的に調整する——つまり「お金が増えたから」という影響をできるだけ取り除いて、なお差が残るかを見る。

    越境買収では、この差は消えた(−0.08ポイント、統計的に意味のある差とは言えない水準)。つまり、越境買収が増えたのは「海外VCが入ったから海外を向いた」のではなく、「海外VCが入って資本が増えたから、買収そのものが増えた」——その内訳として越境が含まれていた、という説明で足りてしまう。

    国内買収は違った。海外VCが入った日本企業は、国内買収をする確率が+6.49ポイント高い。そして資本の量を調整してもなお、+3.60ポイントが残る。減ったのは半分ほどで、残り半分は資本規模では説明がつかない。

    同じ企業の中で、国内チャネルと越境チャネルが別の理屈で動いている。越境は資本の大きさで説明できるが、国内はそれだけでは説明できない何かが残る。 「海外VCを入れると外へ出ていく」という直感は、少なくともこのデータでは支持されなかった。

    4. なぜ日本だけ残るのか——対照群としてのシンガポール

    では、その「資本の大きさでは説明できない何か」とは何か。

    これを見るために、この研究はシンガポールを対照群に置いた。シンガポールを手本として持ち出すためではない。日本の輪郭を浮かび上がらせるための比較対象としてである。

    両国は、企業の買収先が国内に向くか海外に向くかを左右しそうな条件が、揃って逆を向いている。法体系(大陸法と英米法)、事業の言語(日本語と英語)、国内IPO市場の厚み(日本は年100社を超えるが、シンガポールは年10社未満でテック企業の上場は実質国外)、そして国内市場の大きさ(日本の国内需要だけで事業が成り立つ規模に対し、シンガポールは早い段階から域外へ出ざるを得ない)。日本は「閉じた側」、シンガポールは「開いた側」に、4つとも同じ向きで並ぶ。

    結果は明快だった。シンガポールでは、海外VCが入っても国内買収への偏りが日本ほどは見られない(両国の差は−5.66ポイント、資本の量を調整しても−4.88ポイントが残る)。逆に越境買収については、両国の差は統計的に意味のある水準に届かなかった(+0.42ポイント)。シンガポール企業が越境買収に向かうのは事実だが(初回買収の63%が越境。日本は12%)、それはもともとそういう生態系だからであって、海外VCが追加的に越境へ向かわせているとまでは確認できなかった。

    つまり、日本で観測されたことは「海外VC一般の効果」ではない。日本の市場と制度の組み合わせのなかで起きている可能性が高い。

    ひとつ、正直に線を引いておきたい。2国を比べる設計では、4つの条件は常に束で動く。「言語のせいだ」「IPO市場の厚みのせいだ」と個別に切り分けることは、この設計ではできない。 4つの向きが結果と揃っていることを確認できるだけである。

    5. 何が言えて、何が言えないか

    整理すると、こうなる。同じ海外VC資本でも、企業を大きくし、買い手に変える力はどちらの国でも同じように働く。違うのは、その増えた力がどの方向へ吸収されるかだ。 日本では、それが国内買収という経路に、資本の大きさでは説明しきれない形で流れ込んでいる。

    ここから何が言えるか。

    前提として、海外VCの流入を評価するときには、「資本が入ること」と「その資本がどこへ吸収されるか」を分けて見たほうがよい。海外マネーの流入をめぐる議論は、しばしば「技術や企業が流出するのではないか」という懸念と一体で語られる。だがこのデータで観測された日本の姿は、むしろ逆に近い。海外資本を受け入れた企業の買収活動は、結果として国内企業の買収に強く向かっていた。

    そのうえで、立場別にもう一歩具体化してみたい。

    スタートアップ政策にとっては、Exitを増やす道筋がひとつ増える。買い手を厚くするというとき、議論はほとんど「大企業にスタートアップを買わせる」方向に向かってきた。だが、成長したスタートアップを次の買い手として育てる経路もある。その意味で、第4の層は、従来の買い手とは異なる評価軸を持ちうる。

    VCにとっては、投資先の成長支援がIPO支援に限られないことを示す。M&Aによる非連続な成長を選択肢に含められるかどうかで、支援の幅は変わる。スタートアップ経営者にとっては、Series B以降の選択肢に「売られる会社になる」だけでなく「買う会社になる」が並ぶ、ということだ。

    ただし規模については冷静に見ておきたい。買収した経験を持つ企業は日本全体で413社、そのうち海外VCが入っていたのは81社にすぎない。第4の層は既に動いているが、厚いとは言えない。 記事「買い手能力」の診断——買い手が薄い——は、これで覆るものではない。

    そして、言えないこと。この研究は相関を示したものであって、因果を確定したものではない。論文自身、「強い関連と、仕組みと整合的なパターン」という水準で結論を置いている。

    とくに残る可能性は、選択の問題だ。海外VCが、もともと国内で事業を統合していくタイプの日本企業を選んで投資している——という説明を、完全には排除できていない。この可能性を下げる検証は行われているが、「主要因としては支持されない」と言えるところまでで、「否定された」とは書かれていない。ほかにも、データベースの捕捉には偏りがありうること、2010年代に調達した企業の10年を超える帰結はまだ見えないことが、限界として明示されている。

    おわりに:3つの研究がつくる地図

    本稿の元になった論文は、筆者がここ数年進めてきた一連の研究の3本目にあたる。それぞれ別の問いを扱っているが、並べると1枚の地図になる。

    1本目(政府系VCはスタートアップのどの段階で効くのか)は、いつの話だった。公的資本が直接投資として入るとき、その効果はSeries Bという特定の段階に集中していた。

    2本目(政府はGPになるべきか、LPになるべきか)は、どう入るかの話だった。政府が黒子としてLPに回ると、VC会社そのものを強くするというより、VCの中で案件へのお金の配り方が変わっていた。

    そして3本目である本稿は、入った資本がどこへ向かうかの話だ。同じ資本でも、受け入れる側の制度によって、吸収される先が変わる。

    段階、チャネル、そして吸収先。資本が誰の手に渡るかだけでなく、渡ったあとどこへ流れるかを見ないと、その資本が何をしたのかは分からない——3本を通じて残ったのは、この感覚である。


    Disclaimer

    本稿は、Nakatsuka (2026) “Same Capital, Different Absorption: Foreign Venture Capital and Startup Acquisition Channels in Japan and Singapore” (SSRN: 6980818) の紹介として、独立した個人研究の立場で執筆されたものである。原論文は PitchBook の商用ディールデータおよび公開されている制度・マクロ指標に基づく観察研究であり、特定のファンド・投資家・企業・案件の内部情報には一切依拠していない。

    原論文の Declaration of Interest に記載のとおり、筆者は研究期間の一部において B Capital Group に所属していたが、本研究は Alpha Beyond Frontier の独立した学術的立場で行われたものであり、同社の見解・戦略・利益を反映しない。本研究は、B Capital Group、産業革新投資機構(JIC)、および分析対象となった企業・投資家のいずれとも関係を持たない。原稿の査読・資金提供・承認を行った第三者はなく、本研究は自己資金による。なお筆者は現在、JAPAN AI 株式会社および株式会社ジーニーに所属しているが、本研究および本稿は所属各社の公式見解を示すものではない。

    本稿で示した結果は 観察データに基づく相関関係であり、因果関係を確定するものではない。原論文自身、結論を「強い関連と、メカニズムと整合的なパターン」の水準に位置づけており、因果同定は今後の課題としている。また、2国比較という設計上、制度的条件は束としてのみ扱われ、個別の条件の寄与は識別されていない。

    本稿は投資助言・投資勧誘ではなく、特定の投資判断・投資戦略・政策を推奨または批判するものでもない。制度設計・政策議論・リサーチの前提として構造議論に寄与することを目的とし、具体的な意思決定は読者各位の独自判断によるべきものである。

    記載された見解はすべて運営者個人のものであり、いかなる組織の公式見解をも代表しない。

    References

    • Nakatsuka, Keisuke, “Same Capital, Different Absorption: Foreign Venture Capital and Startup Acquisition Channels in Japan and Singapore” (June 23, 2026). SSRN: https://ssrn.com/abstract=6980818
    • Nakatsuka, Keisuke, “Government as GP or LP? Public Limited Partner Capital Reallocates Deals within VC Firms — Evidence from Japan’s JIC” (May 2026). SSRN: https://ssrn.com/abstract=6703339

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  • 経産省「スタートアップM&Aガイダンス」をどう読むか——「買い手能力」の公式化と、なお残る論点

    経産省「スタートアップM&Aガイダンス」をどう読むか——「買い手能力」の公式化と、なお残る論点

    経産省「スタートアップM&Aガイダンス」をどう読むか——「買い手能力」の公式化と、なお残る論点

    はじめに

    日本のスタートアップ・エコシステムは、IPO の偏重と、上場後の成長鈍化、そして大企業側の非連続成長探索ニーズの間で揺れている。グロース市場の上場後の伸び悩みが議論される一方で、事業会社は新規事業の内製では届かない領域に手を伸ばしたい——この2つの動きを接続する役割として、スタートアップM&A の重要性は静かに上がってきている。

    2026年5月20日、経済産業省が「スタートアップM&Aガイダンス——スタートアップ・エコシステムの成長・発展並びに新産業の創出に向けて」(全115ページ)を公表した。スタートアップ育成5か年計画(2022年11月)の実装ドキュメントの一つである。通読してみての印象は、それまで業界内の議論にとどまっていた一つの論点——日本のスタートアップM&A の課題は件数の少なさではなく、買い手側の組織能力の不足にある——を、政策ステートメントとして公式化したことに尽きる。

    本稿ではまず、ガイダンスが何を新しく言ったかを短く整理する。その上で、ガイダンスが扱わずに残した論点を、引き続き観察すべき場所として提示したい。

    §1. このガイダンスは何が新しいか

    ガイダンスの最大の貢献は、日本でスタートアップM&A の活用が進まない背景として4つの仮説を整理した上で、その4番目を中心論点として明示したことにある(p.9-10)。

    ① 上場基準が諸外国と比べて相対的に低い
    ② IPO と M&A をフラットに検討・比較ができていない
    ③ 経営の早期から、M&A も視野に入れた経営戦略が十分に行えていない
    買い手側において M&A の経験や体制整備が進んでいない

    ①は市場構造、②③はスタートアップ側の意識・戦略、④だけが買い手側の組織論である。実際、ガイダンス115ページのうち買い手向けが約30ページ、関連ケーススタディが約12ページを占め、紙幅の比重も④に最も傾いている。

    「M&A 件数が少ないのは買い手が下手だから」「日本企業は PMI が苦手」といった俗論は以前から存在した。だが、それを「経験や体制整備が進んでいない」という組織能力の不足として位置づけ直し、Corporate Development 部署の設置・Strategic Value(戦略的価値)の事前定義・既存事業とは異なる専用枠組みの構築を政策文書として推奨した——これがガイダンスの新しさである。同時に米国の Cisco・Google を Corporate Development の参照点として明示し、論点を比較可能なフレームに乗せた。

    ガイダンスは数字でも一つ重要な観察を提供している。日本のグロース市場に新規上場した会社のうち、時価総額が10倍以上に成長した会社は5%、時価総額の中央値は55億円である(東京証券取引所資料、p.12)。IPO さえできれば成長が続くわけではない、という事実を政策側が公式に認めた指標として記憶しておきたい。

    前回記事「なぜ日本には『赤字スタートアップを買い続ける会社』が育たないのか」で扱った「反復買収を組織能力として運用する買い手能力が薄い」という構造観察は、ガイダンス仮説④と方向が一致している。政策側と独立分析が、独立に同じ構造観察に到達した。

    §2. ガイダンスが示す打ち手

    買い手側に推奨される組織実装は6つの柱で整理されているが(p.65)、読者が覚えるべきキーワードは実は3つで足りる。

    Corporate Development。買収戦略を専任で担う独立組織。米国の Cisco・Google のように、新規ドメインの戦略策定からソーシング・PMI・バリュエーション・IR/リスク管理までを束ねる部署として運営する考え方である。既存の経営企画部の延長ではなく、専用の人材・予算・評価基準を持たせる点が肝になる。

    Strategic Value(戦略的価値)の事前定義。買収を通じて買い手が実現したい価値を、抽象的な「戦略的意義」ではなく、人材獲得・知財取得・プロダクト補完など具体的な類型として事前に定義しておく考え方である。これが曖昧なままだと、探索・評価・統合の各フェーズで案件ごとの場当たり対応に流れる、と弁護士コメントで指摘されている(p.66)。

    デュアルトラック経営。これは売り手(スタートアップ)側のキーワードで、経営の早期段階から IPO と M&A の双方を見据えて資本政策・ガバナンス・事業戦略・人材を一体で設計する考え方である。「IPO=成功 / M&A=ギブアップ」という社会的認知の修正が繰り返し強調される。

    実装の細部で印象に残るのは、スイングバイIPO に関する記述(p.88)である。ガイダンスはこの形態を「あらかじめ設計して進めるものではなく、まずは事業そのものを伸ばす中で、結果として選択肢として立ち上がってくるもの」と位置づけている。また契約実務側では、「日本のSO(ストックオプション)のうち5〜6割は M&A により行使ができない状態となるケースがある」(p.93)という VC のコメントが取り上げられている。知る人ぞ知る実務課題が政策文書に上がってきたことは、それだけで一つの変化である。

    巻末のケーススタディ4社は、いずれも「高バリュエーションを追いすぎず IPO と M&A の選択肢を保持する」「SO やガバナンスを M&A 前提で設計する」といった、デュアルトラック経営の実装例として位置づけられている。

    §3. 政策は触れる場所から先に触っている

    ここで一つ視点を変えてみたい。本稿で扱ってきた4軸モデル——LP・買い手・流動性・起業家——から本ガイダンスを眺めると、扱いの濃淡がはっきり見える。

    図1: 4軸 × ガイダンスの扱い——買い手軸(中心扱い・仮説④で公式論点化)/ 起業家軸(明示扱い・コラム p.16 + ケース4社)/ 流動性軸(軽く触れる程度)/ LP軸(直接扱わない、税制と関連ガイダンス群が周辺整備)。扱いの濃淡は「政策が動かしやすい順」とほぼ一致する

    この濃淡が「政策が動かしやすい順」と一致している点に注意したい。事業会社の組織設計に対する規範的ガイダンスを出すことは、政策側にとって相対的に動かしやすい。シリアルアントレプレナー推奨は税制との組合せで一定の後押しができる。一方、セカンダリー市場の制度整備や上流の LP 資本構造改革は、関係者が多く政策レバーが直接届きにくい。

    ガイダンスは射程を絞ることで実装可能性を担保している。政策は触れる場所から先に触っている——それ自体は合理的な設計だが、政策が触れない箇所が残ることは、別途独立に考える必要がある。

    §4. ガイダンスが扱わない論点

    ここからが、ガイダンスを読み終えた後に残る本丸である。政策が言っていないことの方が、構造的には重要な場合がある

    図2: ガイダンスが扱わない4論点——PE(プライベートエクイティ)の役割 / 海外戦略買い手と外為法 / のれん20年定額償却の見直し / 反復買収する日本企業の対象構造。いずれもガイダンスのスコープ外で、独立分析の場所として残る

    PE(プライベートエクイティ)の役割。ガイダンスの買い手スコープは事業会社・メガベンチャー中心で、Carlyle や KKR といった PE プレイヤーは扱われない。だが現実には、海外大型ファンドの日本コミット拡大や、国内 PE による上場 SaaS の非公開化買収など、PE 側で独自の動きが進んでいる。赤字成長期スタートアップを反復的に買い続ける買い手層が育つかどうかは、PE 側の評価フレームと LP 説明責任の組合せに大きく依存する。

    海外戦略買い手と外為法。GAFAM の日本での買収はごく限定的で、2020年改正外為法のコア業種制度がスタートアップ買収の典型領域に摩擦を加える構造も残る。海外大手が「出資には積極的だが、反復買収の対象には日本のスタートアップを取り込まない」という非対称性は、政策側からは触れにくい論点として残っている。

    のれん20年定額償却の見直し。会計処理の章(p.80-81)でガイダンスは、日本基準・IFRS・米国基準の取扱いの違いを事実紹介レベルで丁寧に整理する。しかし、2025年5月に規制改革会議で議論が始まったのれん償却制度の見直しには踏み込まない。経産省の所管領域から外れる(会計基準は ASBJ)ことが理由だが、買い手能力の組織実装と並行して、制度側のハードルがどう変わるかも買い手の意思決定環境を左右する重要変数である。

    反復買収する日本企業の対象構造。米国 Cisco・Google を Corporate Development の好例として参照する一方で、日本側で実際に反復買収を組織能力として運用している企業——ニデック、SHIFT、GENDA 等——は扱われない。これらの主たる買収対象は黒字事業や同業中堅であり、赤字成長期のスタートアップは含まれにくい。「日本にも反復買収する事業会社は存在するが、対象が違う」という事実は、Corporate Development を組織として導入しても、買収対象選定の慣性が変わるかどうかは別問題であることを示唆する。

    これら4論点を「ガイダンスへの不満」として読むのは正しくない。射程を絞ることで実装可能性を担保するのは政策文書の合理的設計である。ただし、これらが解決されないままでは、ガイダンスが推奨する Corporate Development や Strategic Value の定義が現場で立ち上がっても、スタートアップが IPO 以外でも成長資本を回収できる市場構造は作りにくい——という意味で、本丸は依然として残っている。

    おわりに

    ガイダンスを通読して最後に残るのは、一つの視点転換である。

    日本のスタートアップM&A のボトルネックは、「売りたい会社が少ない」ことではなく、「継続的に買える組織」が少ないことだった。IPO 偏重も、グロース市場上場後の成長鈍化も、PMI の困難も、のれん償却制度のハードルも、PE の不在も、海外戦略買い手の限定性も——別論点に見えて、実際には「赤字成長期スタートアップを継続的に評価・買収・統合できる主体が薄い」という一点に収束する。

    経産省ガイダンスは、その構造を初めて政策文書として公式化した。だが、政策が示せるのは方向までであり、実際に「反復買収を組織能力として持つ企業群」が日本で立ち上がるかどうかは、今後数年の経営実装に委ねられている。

    本当に変化が起きるかどうかは、M&A 件数ではなく、同じ企業が2件目、3件目、4件目を買い始めるかで測られることになる。

    References

    政策ガイダンス本体

    関連政策ドキュメント

    統計引用元(ガイダンス内で参照)

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    Disclaimer

    本稿は、経済産業省「スタートアップM&Aガイダンス」(2026年5月20日公表) の構造に関する独立した分析であり、公開情報ベースの個人研究として執筆されたものである。記載された企業・ファンド・政策当局の内部情報には一切依拠していない。

    本稿は特定の政策・制度・投資判断を推奨または批判するものではなく、公開された政策ガイダンスの構造を読者が理解する補助として位置づけられる。ガイダンス本体の解釈・適用に関する判断は、読者各位の独自判断によるべきものである。

    本稿は法務・税務・会計上の助言を目的とするものではない。M&A、買収契約、PMI、税制適用の設計にあたっては、個別事情に応じて弁護士、税理士、公認会計士その他専門家に確認されたい。

    記載された見解はすべて運営者個人のものであり、いかなる組織の公式見解をも代表しない。